上海大学で短期語学研修 ⑥

 今日(2月6日)は結婚記念日だが、二人とも忙しい一日になる。私は徳島肝炎の会の会報作りで徳島へ、妻もボランティアと母親大会実行委員会の会議で徳島へ。家へ帰るのが遅い。

 1月18日の午後は、地下鉄に乗って虹口足球駅へ。ここには魯迅公園があり、園内には魯迅記念館、魯迅の墓がある。また、公園近くには魯迅の旧居と内山書店跡(今は銀行)があり、多倫路には1920〜30年代に活躍した作家・詩人・革命家などの像がたくさん並んでいる。
 魯迅記念館で魯迅の足跡をたどった。建物の中には藏克家の魯迅を讃える詩が掲げられていた。記念館で購入したのは、魯迅が日本に滞在していた時の写真ハガキと魯迅の手稿を本に挟む栞にしたもの。
 記念館の紹介文には、2001年に中国共産党中央宣伝部がこの記念館を全国愛国主義教育模模範基地に指定したとあったが、魯迅にとっては今の中国共産党の実態を考えると、はなはだ迷惑なことに違いない。
 魯迅の墓は、作家の堀田義衛が「上海にて」(1959年刊行)の中の「魯迅の墓」で触れているが、1945年6月に彼が魯迅の墓に行った時のこの一文には「上海西郊の万国公墓へ魯迅の墓を見に行った。それは、小さな、なんということもない墓であった。一面、ぼうぼうの草に埋もれていた。花もなんにもなかった。たしかその日は日曜日で、墓地の番人がいなくて、私たちは塀の破れ目から身を曲げて押し入った。魯迅の墓のそばには、宋子文宋美齢やらの宋一家のじつにばかでかい墓があった。」と書かれていた。
 それから見ると、今の魯迅の墓は堀田が言うように彼の意思に反して実に大きいと思った。魯迅の旧居の内部は撮影禁止。子の周海嬰が描いた絵が飾ってあった。



 多倫路の魯迅と若い文学者が話しているところに割り込み


 魯迅の故居


 魯迅公園横の古い街並み


 魯迅デスマスク、髯が数本付いている


 魯迅記念館正面


 学食の値段は4元から10元ぐらい、量も豊富で小食の私にはとても食べ切れなかった。
 蘇州の観前街にあった和平餐飲店で飲食したものの値段下記の通り。日本のセルフうどん屋の雰囲気であった。1元は日本円で15円くらい。
 肉末茄子:6元、包菜粉絲:4元、揚州炒飯:6元×2、小炒油面筋:6元、醤汁肉:9元、芹菜香干物肉絲:5元、夢卜焼牛腩:12元、麻婆豆腐:4元、白粥:2元×2、小炒杏鮑蝱:6元、雪花精純(ビール):24元×3、香炒木耳:7元、他に同じようなものを何品か注文したが、5人で総計200元ほどの夕食であった。
 学食のチケットがなくなったので、上海大学前のパン屋(面包派対)で買ったパンの値段は下記の通り。
 甜甜圏:4元、丹麦盒:6元、迷你漢堡:3.5元、家郷香腸:5.5元、迷你泡芙蓉:3元、他にも買ったが領収書が残っていない。


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
●櫓太鼓に 偶(ふ)と目を覚まし 今日はどの手で 投げて遣ろ
●木曾の御嶽さん 夏でも寒い 袷(あわせ)遣りたや 足袋ヨ添へて
●帯も十勝で そのまま根室 落つる涙の 幌泉