上海大学で短期語学研修 ⑦ とB型肝炎訴訟原告団・弁護団の国会議員要請行動

 昨日(2月7日)はB型肝炎訴訟原告団弁護団の議員要請行動のため日帰りで東京に行ってきた。全国各地から80名余りが参加。私が所属する大阪からは弁護士5名、原告が私を含め6名参加した。訪問した国会議員は100名を超えていた。
 今回の目的は、「衆議院選挙後新しい体制となった国会において、B型肝炎訴訟の現状と今後の課題を説明し、原告団弁護団の活動に理解を得ること、今後の活動の力になってもらえるような関係をつくる(これまで支援してくれた党・議員へはお礼)。であった。
 要請事項は下記の3点。
 ①集団予防接種によるB型肝炎感染被害者が45万人とされるのに、提訴者は未だ1万人にも満たない現状のもとで、多数の被害者が基本合意・B型肝炎特措法による請求ができるような周知徹底の方策の必要性、早期の個別和解の成立の必要性・課題。
 ②真相究明の検討会の現状と課題。
 ③恒久対策に関する現状と課題(2回目の大臣協議に向けて)
 行動をするにあたっては、新人議員も多くB型肝炎訴訟について十分には知らない議員もいるので、B型肝炎訴訟そのもの、患者である自分の思い等を話して理解を得ることが大事だと説明があった。 
 大阪チームは最初は2班に分かれて行動し、その後合同で行動した。議員要請の中心は衆参の厚生労働委員会所属の委員である議員。また、各人の出身地議員訪問。私が皆と訪問したのは厚労委員では、とかしきなおみ議員(自民)・足立康史議員(維新)・伊佐進一議員(公明)・大串正樹議員(自民)・新原秀人議員(維新)。
 他に参加者が知り合いの議員にもあいさつ。姫路のEさんが、大分県衛藤征士郎議員(自民)を知っているということで訪問。議員は玖珠郡玖珠町日出生出身でEさんも同じ町。議員は生憎不在であったが、政策秘書と話が弾んで出身高校の話や、Eさんがかつて衛藤議員に家庭教師をしてもらった話等もでて大いに盛り上がった。その上政策秘書の弟が議員をしているとのことで、そこまで案内してもらい神田憲次議員(愛知・自民)の部屋も訪問した。他には松本剛明議員(民主)・浦野靖人議員(維新)・竹本直一議員(自民)・福山守議員(自民・徳島)であった。
 福山議員には県議時代にとくしま難病支援ネットワークでお世話になっているので、是非とも直接話したかったが残念ながら不在であった。
 午前中には後藤田正純議員(徳島・自民)に1人ではあったが面会できた。これまで何度もB型肝炎訴訟について実情を説明もし支援の話も頂いているので、今回も快く話を聞いてくれた。
 私は、議員に対して2月24日に予定されている、阿南市での医療講演会・特措法説明会の紹介、先日行われた厚労省の肝炎対策推進協議会の話などをした。



 議員会館でとかしき議員と


 上海での最初の休みの19日・20日は、兄・K山さん・N粼さんと杭州へ。西湖があるここは中国でも有数の観光地である。上海駅から杭州駅までは新幹線で1時間20分ほど。7時55分発なのだが、中国では待合室(候車室)で多くの乗客が待っていて、改札が開くのが出発の15分ほど前。改札が開くと我先にホームに駈け下りて行く。とにかくホームが長いので足腰が悪い人は大変。驚いたことに定刻の3分前に発車。ところ変われば品変わるの典型であった。定刻の3分前には改札を閉めるからそれでよいのだとは、中国慣れしているW林さんの弁。日本で1等車乗車は私には考えられないが、費用は147.5元。
 ほとんど会話のできない4人連れは、最初にホテルにチェックイン。杭州駅から15分ほどの距離なのだが、あちらこちらで道を聞いて(中国語が十分には理解できないが)30分ほどでようやく宿の淅江省軍供大厦に到着。ホテルから西湖までは徒歩15分ほど。
 腹が空いたのでマクドナルドで昼食。今までマクドナルドなんぞで食事をしたことがない私にとっては初体験。味は日本と違って中国風味だと経験者は語っていた。西湖の付近を散策して手こぎ舟(手揺船)に乗船。値段交渉の結果1時間80元ということになった。のんびりとして、湖面の静かな波ははなはだ気分が落ち着くものであった。1時間半ほど乗って下船。西冷印社、岳廟・秋瑾の墓などを見物。
 秋瑾(1875年 福建省生まれ。清朝打倒を目指した武装蜂起を計画するが失敗。紹興で逮捕され、1907年7月15日、公衆の面前で斬首された。)は清朝末期の女性革命家で夫や子どもをおいて日本に留学したこともある。その時に魯迅にも出会っている。作家の武田泰淳は、秋瑾が主人公で彼女の詩の一部を引用した題名「秋風秋雨人を愁殺す」という小説を書いている。読んだのはもう43年ほどの前のことなのではっきりしないが、彼女の生きまざまがいきいきと書かれ、当時の時代、女性が自立しにくい時代での苦闘が理解されるものであったように思う。魯迅の小説「薬」は秋瑾と関係があると言われている。
 秋瑾の墓には彼女の全体像があったが、武田の本にある写真には全体像はなかった。
 
 
 どういうわけか写真が縦に入らなくなった。

  秋風起兮百草黄  秋風起って百草黄ばむ
  秋風之性勁且剛  秋風之性 勁且つ剛
  能使羣花皆縮首  能く羣花をして皆首を縮め使め
  助他秋菊傲秋霜  他の秋菊を助けて秋霜に傲る
  秋菊枝枝本黄種  秋菊枝枝 本黄種
  重樓疊瓣風雲湧  重樓疊瓣 風雲湧く
  秋月如鏡照江明  秋月鏡の如く 江を照して明るく
  一派芿波敢搖動  一派の芿波 敢て搖動す
  昨夜風風雨雨秋  昨夜風風 雨雨の秋
  秋霜秋露盡含愁  秋霜秋露 盡く愁ひを含む
        後略
    (訓読は「碇豊長詩詞世界」を参照)

 その後、蘇堤を歩く。全長3キロ余りのこの堤は、蘇東坡(蘇軾からとったもの。1037年1月8日〜1101年8月24日。中国北宋代の政治家、詩人、書家。唐宋八大家の一人。)から取ったもので、「東坡肉」(トンポーロー、ブタの角煮)は、彼が黄州へ左遷させられた際に豚肉料理について詠じた詩からつけられたという(自ら料理したとも言われる)。記念に食べましたが美味しかったですね。この日、西湖をほぼ一周に要した歩数はK山さんの万歩計によると26,000歩。疲れました。
 夕方は、杭州の繁華街の河坊街を散策して食事。そこの土産物店で泥人(土人形)を購入した。

 



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○忍路(おしょろ)高島 及びもないが せめて歌棄(すつ) 磯谷まで
○鯉の瀧登り 何に見て躍(は)ねる 水の出花のなァ 態(さんま)ヨ見てはねる
○二十五反の 帆を捲きあげて 往くよ仙台 イソ石の巻