忙しかった4日間 B型肝炎訴訟と守大助

 忙しかった4日間(2/14〜17)であった。
 2月14日は2時から大阪でB型肝炎の恒久対策会議があり、その後引き続き6時から肝炎の関西フォーラムに参加、8時過ぎまでかかって腹ペコになり、交流会。ホテルに帰ったのが11時過ぎになってしまった。
 関西フォーラムでは、関西圏と徳島の各府県で作成されてきている肝炎対策計画についてB型肝炎原告・弁護士・日肝協・薬害肝炎訴訟の弁護団などで、計画の進捗状況や問題点のチェック、私たちの計画への取り組みなどを交流しあった。各府県の良いところをどれだけ自県の計画に入れさしてゆけるか、大きな課題である。
 翌15日は大阪裁判所でB型肝炎訴訟の傍聴。裁判は1時半に始まり30分ほどで済むのだが、その後に会場を変えて2時半から裁判の報告会と原告団会議があった。今回も傍聴席は満杯で、法廷には入れない人もあった。
 報告集会で私は、2月7日に行われた国会議員への要請行動を報告した。内容は8日のブログで紹介したとおり。5時5分に会議が終わり、タクシーで梅田の高速バス乗り場に行った。5時半出発の5分前で乗車することができた。我が家に着いたのが8時半近く。疲労困憊であった。しかし、予定はまだまだある。
 昨日は、私が会長を務める「守大助さんを支援する徳島の会」の総会が1時半からあったのだが、その前に知人のお父さんが亡くなられたので葬式に参列。幸いにも我が家のすぐ隣で葬式が行われたので、なんとか時間のやりくりができた。
 総会には52名が参加、会員数も目標の400名を獲得し、仙台地裁に対する再審開始を求める署名、当初目標の1,000筆を大きく超え2,501筆になったと報告があった。また、仙台地裁に対し、再審開始を求める決議も採択された。

 総会では、守さんの元同僚の方()が、守さんの人となり、当時の病院の医療レベルなど実情の紹介、また自分も警察で事情を聞かれ(これが8時間もかかり、お茶が1杯出ただけでたばこの煙モウモウの部屋で、守さんの良いところは一切聞かず、悪い処だけ言えというひどいもの、調書も本人が言いたいことはまるで書かれず、こうして冤罪が出来るのだなと思ったという。S原さんの実家は石巻で、震災の時に実家は流され、親戚・身内が20人亡くなり、未だに4人が行方不明だという。震災という理不尽な人災によって大事な人を多くなくした経験があるからこそ、守大助さんと家族・友人を襲った理不尽な仕打ちが許せないのだろう。そう考える。
 また、徳島から守さんの弁護団に参加している堀金弁護士から、再審請求書の要点と最近の三者協議(弁護士・裁判所・検察)の進行状況につて説明があった。
 再審請求して満1年を超えた現在、各地の支援する会が協力して、再審開始を勝ち取る大事な時期に差し掛かっていると、参加者全員が感じられる二人の話であった。
 今日は川上事務局長と、わざわざ仙台から来てくれたS原さんを、飛行機の時間まで眉山と鳴門の渦の道を案内した。
 23日(土)には茨城で全国33番目の会(守大助さんを支援する茨城の会)ができるというので、メッセージを送ることになった。茨城は布川事件で再審開始・無罪を勝ち取った貴重な経験があり、全国各地の会を励ます大きな力になるだろう。楽しみである。



 あいさつする私



 報告する事務局長