上海大学で短期語学研修 ⑫ と 守大助総会

 2月16日(土)の守大助さんを支援する徳島の会の総会が無事に終わり、ホッとしている。しかし、23日(土)には阿南市で肝炎の医療講演会とB型肝炎特措法の説明会がある。これも成功させなければいけない。大阪の担当の弁護士から、阿南市周辺の医療機関にはチラシを送ったそうなので、多くの参加を期待したい。



 総会での私のあいさつと、守大助さんのメッセージは以下の通り。


 守大助さんが冤罪で宮城県警に逮捕されてから、早12年1ヶ月が経過しました。大変悔しい思いのなかで、守さんは千葉刑務所に服役させられています。
 しかし、守さんを救出する運動は着実に前進し、昨年2月には再審開始請求が仙台地裁に提出され、弁護士・検察・裁判所の間で三者協議が行われています。また、昨年3月には全国連絡会ができ、各地の活動がわかるようにもなり、全国的な方針も不十分ながらも出されてきています。
 今回の総会には、地元徳島の再審弁護団員の堀金博弁護士に再審請求の内容を中心にご講演していただきます。また守大助さんの元職場仲間の篠原幸子さんをお招きし、守さんが犯人にされるまでを語っていただきます。多くの会員の方にご参加をお願い申し上げます。
 徳島の会でも、各地での宣伝行動・役員会の定例化・会員拡大・団体訪問・各行事参加などの活動を行い、県内でも仙台北陵クリニック筋弛緩剤事件は「冤罪」だという認識が増してきています。また、会員の獲得でも、会員の皆さん役員の皆さんのご協力で400名という目標を達成することができました。本当にありがとうございます。
 今年度は、今までの活動に確信を持ち、全国の会の皆さん弁護団と協力して、必ず守大助さんの再審開始を勝ち取り、一刻も早い救出を実現しましょう。



 会場に貼られた写真

     第8回総会へのメッセージ

   私は絶対に、筋弛緩剤を混入していません。
   一度で再審開始・釈放を勝ち取りたい!!
   両親の元へ早く帰りたいです。助けて下さい。
   これからも、徳島から四国、全国へ真実を広げて下さい。

 凍りついた北風が骨身にしみる毎日ですが、お変わりなくお過ごしでしょうか。第8回支援総会を開催していただきまして、本当にありがとうございます。今回は元同僚の篠原さんが参加してくれます。北陵のこと、篠原さんから見た私など、色々聞いて知って欲しいです。千葉へ留学して5度目の新年を迎えましたが、一番寒い冬となっており、手・足・耳と霜焼けになり、特に手足はこれまで以上にひどいものですが、負けずに頑張っていますのでご安心ください。
 再審請求して1年、昨年12月20日検察は鑑定に対する「意見書」を提出してきましたが、これまでの主張を180度転換しました。鑑定とは名ばかりのものとなっても、”検体から検出されたのだから、信用性には問題なし”としていますが、その検体が患者本人のかは、ラベルに記載されてる「名前」でしかありません。こんな事が、今回も通用されるなんて冗談じゃありません。状況証拠は砂上の楼閣です!!郁子医師の処置ミス隠しが本当の事件です。この事を忘れないでほしいです。
 今年は開始へ大きく前進したいです。この雪冤が一日も早く解け行くことを願っています。徳島の皆さんと会える日を楽しみに・・・・
      「仙台北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件」
                  無実の 守 大助



 上海大学での1月24日(木)の午後からは、上海の松江区にある「方塔園」(正式名称を興聖教寺塔)に行っていた。兄が日本で買ってきたガイドブックで説明されていた駅より先に駅ができていた。とにかく開発が凄い。この日は曇り空。雲というより、何か粉じんのようなものであろうか。
 松江区というのは、中国に進出している工場が多いのであろう。阿波市で一緒に中国語を習っているY山さんが勤めている会社の工場があると言っていたし、B型肝炎訴訟に加わっている大阪のOさんの工場も以前ここにあった(今は南京)という。
 地下鉄9号線(大分前から地下から地上に出ているが)の酔白池駅を降りて、歩いて30分ほどの所にあった。方塔は、北宋時代(1068〜1094)に建てられたので900年余りになる。塔の高さは42.65mの9層のもので、四角形なので方塔という名になったと、入場券の裏に紹介されていた。方塔の急な階段を上ると上海の松江区を一望できた。しかし、壁に多くの落書きがあったのは残念。
 広い方塔園の敷地には池や幾つもの建物があり、清代の尚有天妃宮、明朱舜水紀念堂、奇昌楼、竹林小径、明代石像生遺跡などの見所が点在している。
 帰りの地下鉄での事。とにかく携帯でメールや電話、ゲームをしている人がやたらと多い。日本より多いように感じた。乗車するとき、日本だと降りる人が優先で(中国でもそう言う表示はあるが)、皆じっと待っているが中国ではおかまいなし。そのためによけいに乗降車に時間がかかる。マナーが悪いとは思うのだが、不思議なことに日本ではめったに見られない若者が年寄りに席を譲ることが多く見受けられた。






俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○七里小濱のな 砂の数程思へ共 縁が薄いやら 添ひもせぬ
○山は雪じゃ 麓は霰(あられ) 里は雨 裏へ回るも 其様故
○思ひ棄つるな 叶はぬとても 縁と浮世は 末を待て