上海大学短期語学研修 ⑮

 今回の蘇州行きの最大の目標は、虎丘であった。前日(1月26日)は、残念ながら車窓からの虎丘見物だったので、今日はバスで行こうと言うことになった。蘇州市内の見物は思わぬことで中途半端に終わったので、先達のK谷さんは、夜外に出かけたりホテルの人に聞いたりで、行き方を調べていてくれた。感謝である。ホテル近くのバス停から乗車して虎丘へ。バス代は2元。
 東洋のピサの斜塔と言われているが、なるほどと思わせるものがあった。入場料は65歳以上は半額の20元(70歳以上は無料)であった。
 虎丘は春秋時代呉王夫差(ふさ)が父の闔閭(こうりょ)を葬った陵墓。葬儀の3日後に、墓の上に白い虎が現れたことから虎丘と呼ばれるようになったといわれている。最大の見ものの雲岩寺塔は961年創建。7度の火災にあったレンガの塔で現存するのは清代のもの。地盤沈下による塔の傾きは約3.5度。いつ煉瓦が落ちてくるか分からない。立ち入り禁止であった。


どうしても縦に入らなくなった。

 その後、留園(ここも半額の15元)に行ったが観光客が多すぎて、落ち着いてみることができなかった。またバスに乗って山塘河へ。日曜日とあって大変なにぎわいであった。入場料もいるようだが、それほどチェックも厳しくないのか、無料でスル―。


 写真は山塘河のにぎわい。

 石碑があり、この川の長さは3.5k。唐代の大詩人白楽天が蘇州刺史に任ぜられた時に造ったので、初めは「白堤」と呼ばれていたようだ。


 この後に行ったのが北寺塔。北塔報恩寺は三国時代孫権が母親のために建てたと、入場券の裏に記載されていた。北寺塔は高さ76mで南北朝時代に建設され修復もされたが、蘇州の冠たる塔で、江南第一の塔という栄誉を担っているようだ。どこの塔も登るのは一苦労である。


 ここでもいたずら書きが、残念である。

 最後の目的地北寺塔を見物したので、上海に帰ることになったのだが、これからが大変であった。K谷さんの話によると、ここから蘇州駅までは歩いて15分程度とのこと。それなら歩いて行こうと言うことになった。ところが、これが大違い。大きな看板のある蘇州駅と思ったところは、実は工事中のところ。何度も間違って駅に着いたのは1時間あまり後。疲労困憊であった。バスに乗って行けばよかった。蘇州駅の待合室は満杯。学生のボランティアらしき女性がいろいろ案内をしていた。とにかく春節が近いのでどこも混雑して、おのぼりさん然とした人がたくさんいる。彼女たちの果たす役割は大きい。
 上海駅に着いてホテルに帰った後のできごとは、先に間違って書いた通り。

 翌日、全員無事に成田に着いた。




俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○掛けて好いのは 衣桁(いこう)に小袖 掛けてたもるな 薄情
○思ひ切らしやれ もう泣かしやんな 様の恋路は 薄御座る
○月は東に 昴(すばる)は西に いとし殿御は 真ん中に