「天才の栄光と挫折」

数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

 作家小川洋子の「博士の愛した数式」の文庫本の解説を藤原正彦が書いていた。その中で初めての小川との出会いのきっかけが書かれていた。
 「先生の出演されたNHK人間講座をご覧になり、また『天才と栄光の挫折』もお読みになってインスピレーションが湧いたそうです。」「この作品には、小川さんの数学への憧憬、数学美への心酔がちりばめられている。この物語では、数学への愛と博士への慕情がないまぜとなりふくらんで行く。男性としての魅力に欠ける博士への慕情は『私』の数学美への強烈な心酔があってはじめて成立すると言える。」
 そこで、本書を読む気になった。

 「天才の栄光と挫折」の文庫本への解説を、今度は小川が書いている。小川の文章はとても配慮に富んでいて細かな所に気付き、その本質をつかんでいるように、私には思える。この解説もそうだ。
 「神の声を聞いてしまった者たちが支払う代償は、あまりにも大きい。9人の天才たちが確立した美に物語があると等しく、それぞれの人生で味わった挫折にもまた、物語がある。ある者は病に倒れ、ある者は恋に破れ、またある者は決闘で命を落とす。」
 私なんぞは、中学校の算数どまりの理解しかないので、数学の天才たちの思考経路、思考の飛躍の源泉がどこにあるかがとても理解できない。
 しかし、ほとんどの数学者の業績は若い時にできあがっている。若い時の集中力、体力がその天才と相まって、新しい数学の扉を開いて来ていることが、本書で理解された。
 そう言えば、分野は全く違うが将棋や囲碁でも若い時が一番力を発揮できる。私の趣味の囲碁では23歳の井山裕太が「十段・本因坊碁聖・竜星・王座・天元」の6冠を保持し、7冠を目指している。
 数学では、解かれた数式に美しさがなければ本当のものではないと言うが、囲碁でも同じようなことが言われている。打った手に調和がとれて美的でないと、その打った手のどこかにか問題手がある。



 我が家の絵馬 京都・金閣寺 2007年9月12日購入



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○博奕(ばくち)打たしやる 大酒呑みやる わしが布機(ぬのはた) 無駄にして
○いなしよいなしよと 思ふた中に 太郎が生まれて いなされぬ
○心短気な 男を持てば 胸に早鐘 撞(つ)く如く