四国11番札所藤井寺から柳水庵まで

 今朝は連れ合いと、31日に行われる「第30回やまなみウォークラリー」(鴨島駅から山に入り眉山までの30K)の訓練を兼ねて、四国11番札所の藤井寺から12番札所焼山寺までの中間点にある柳水庵まで往復(12k)の山道を歩いてきた。四国遍路道でも最大の難所のひとつである。
 7時17分に藤井寺を出発して、8時37分に長戸庵に着き10分休憩。二人の男性遍路に出会った。1人は大阪から来ていた。9時50分に柳水庵に着くと、岡山から来ていた方に出会った。70歳の記念に歩き遍路をしていると言う。この遍路の為にトレーニングをして、520キロを歩いたと言う。多い時には一日40キロも。一寸訓練のし過ぎではと思ったが。長戸庵で出会った男性は昨秋遍路をする予定だったが、訓練のしすぎでドクターストップがかかり今春になったと言う。みなそれなりの覚悟をして遍路をしているようだ。柳水庵では15分ほどトイレ休憩などをして、藤井寺に引き返した。
 途中、何人かの方に出会った。若い男性が犬を連れているのにも出会ったが、遍路犬は初めてだ。20人のほとんどが女性のグループもあった。一番若かったのは、元気はつらつの横浜から来た大学2年生の女性二人連れ。どこの大学かと聞くと、明治学院大学とフェリス女子学院大学と言っていた。どちらもキリスト教系の大学なのだが、信仰はどうでもよいのだろう。
 1人気になっていた人がいる。藤井寺を出て30分ほどの所に端山休憩所がるが、そこで荷物の点検をしていた人は7キロの荷物をしょって肩が痛いと言う。どうもあまり歩きなれていないようだった。まあ今日は焼山寺までというから、いつかは到着するだろう。この方も70歳。70歳(古希)は今でも人生の節目なのだろう。
 「古希」と言う語は、唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来するようだ。


 折角なので、何度かこのブログにも登場した松浦友久先生にお世話になろう。松浦友久編・解説(田口暢穂 のぶお 著)(心象紀行/漢詩の情景1 自然への賛歌 東方書店 1990年10月刊)。


    曲江
  朝回日日典春衣
  毎日江頭尽酔帰
  酒債尋常行処有
  人生七十古来稀
  穿花キョウ蝶深深見
  点水蜻テイ款款飛
  伝語風光共流転
  暫時相賞莫相違


  朝より回りて 日日に春衣を典し
  毎日 江頭に 酔を尽くして帰る
  酒債は尋常 行く処に有り
  人生七十 古来稀なり
  花を穿つの蛺蝶 深深として見え
  水に点ずる蜻蜓 款款として飛ぶ
  伝語す 風光 共に流転して
  暫時 相賞して 相違うこと莫からんと


 朝廷から退出すると、毎日、春着を質に入れ/日ごと曲江のほとりで思いきり酔って帰る/酒代の借りは珍しくもなく、行く先々にあるが/昔から七十まで長生きした人はめったにないのだ/花の間を縫って舞う蝶々は奥深くに見え/水面を尾でたたいてゆく蜻蛉はゆるやかに飛んでいる/この春景色にことづけよう、私もお前もともに流転してゆくのだから/しばしお前の美しさをめでて、そむかぬようにしようと。



 先週の土曜日(3月23日)は前々週に行ったのと同様の、徳島県民医連の入職1年の職員に向けての話し。前回の参加者は10名ほどで、今回は24名ほど。私の話を聞いてからグループ討論をするらしい。題名は「民医連とB型肝炎訴訟」。私の民医連での経験とB型肝炎訴訟の取り組みについての話で、パワーポイントを使って1時間あまり話したのだが、果たして理解されたかどうかは不明である。あとで、感想文でもあったら読んでみたい。




我が家の絵馬 熊野本宮大社(2007年9月3日購入)



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○生れ来たりし 古(いにしえ)問えば 君に契れと 夢に見た
○闇夜なれども 忍べば忍べ 伽羅の香りを 知る邊(べ)にて
○若しも道中で 雨降るならば 私が涙と 思はんせ