B型肝炎訴訟大阪地裁の期日

 昨日(4月26日)は大阪地裁でB型肝炎訴訟の裁判があったので参加した。連れ合いが、長女のいる水戸に出かけているので、雑用を2つこなすために5時過ぎに起床して行ったので、大変であった。
 今回も傍聴席は満員で、提訴者の熱心さが窺われた。2人の女性が意見陳述した。その内の一人は29歳。私の息子と同年齢なので彼女の話は人ごとではない。国が、集団予防接種の義務化をやめたのが1988年。彼女が生まれたのは1983年。わずかの差でB型肝炎ウイルスに感染してしまった。好きな仕事にもつけず、アルバイト生活。体調不良で仕事も長続きしない。家族との関係、職場の人とのもうまくいかない。
 発症は20歳の時。人生で一番楽しいはずの時が、「入院中は、立ち上がることすらしんどく、横になっている状態が続きました。インターフェロンの副作用で40度を越える発熱が何日も続いたときには、経験したことがない頭痛、関節痛と吐き気のため、意識が朦朧としていました。今までの人生で一番過酷な期間でした。言葉にすれば『しんどい』の一言で終わってしまいますが、この一言にどれほどの辛さが詰まっているか。言葉では言い尽くされません。」
 神経科に通院した時、医師から「あなたがおかしい。躁鬱になって周りの人に迷惑をかけている。あなたは良くても皆が困るんですよ。」と言われたと言う。全く、彼女の責任で躁鬱になったのではないのに、こんな心ない一言が、患者を傷つける。
 もう一人の女性は64歳。二人の娘に2次感染させている。二人とも大学卒業ごろに発症している。彼女も7年前に発症し今では核酸アナログ製剤を服用していると言う。しかし、自分のことより、娘たちが何時肝硬変や肝がんにならないかと言う不安が先行しているようだ。
 裁判後の報告集会で、B型肝炎が何故蔓延し、国が長年その危険性を放置してきたか、真相究明について話しがあった。
 厚労省(当時の厚生省)は1970年に、「注射針を取り換えるべき必要性の医学的根拠としての文献と言うことであるが、私どもが探し得た範囲で見当たらない。」と述べている。
 しかし、イギリスでは1943年に保健省が接種後に肝炎発生を報告しているし、1945年には保健省・医学研究会が注射針・筒の交換を推奨している。
 日本では1948年に「流行性肝炎の患者の採血に用いた注射器及び針が危険である。単なる滅菌法では死なない。」と坂本論文に出ている。それ以降も注射器・針の連続使い回しの危険性が多くの医学者から報告されている。
 厚労省が「私どもが探し得た範囲で見当たらない。」と言うのなら、私はそれは全くの業務怠慢か、偽りの報告であると思う。

 4月26日に全国で一斉提訴が行われ、全国B型肝炎訴訟原告団弁護団に所属する被害者数は8,004人、原告数は8,695人になった。私が所属する大阪では1,790人の提訴者(被害者数は1,669名)になった。和解者数は全国で3,063人。提訴者の5,600人余りがまだ和解できていない。国の対応は相変わらず遅い。
 国は約45万人の被害者がいると言っているが、提訴者数は被害者の2%程度。国の責任で被害者の掘り起こしをすべきだと考えるが、今の国の姿勢は全くおざなりで、民法724条後段の除斥期間(発症後20年)が来て、請求権が消滅するのを待っているとしか考えられない。除斥と言う制度を適用しないこと、また除斥自体を廃止することが必要と思う。



我が家の絵馬 長野・駒ケ根  光前寺



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇眉目(みめ)が好いとて 心が人か 大阪木偶の坊(でくのぼ)で 面ばかり
〇物を言やるな 言や屑になる 言はで包めば 屑も無い
〇人に物言や 油の雫 落ちて広がる 何所までも