シリーズ中国近現代史④ 「社会主義への挑戦」

 5月4日(土)は、連れ合いと映画「リンカーン」を見てきた。昨日は、これまた連れ合いと、彼女の友達と3人で「最後まで残った空海の道」を歩いてきた。歩いたのは、四国88番霊場の11番札所の藤井寺から12番札所焼山寺までの中間点「柳水庵」の山道の往復。おおよそ、13Kmある。出発は8時21分で、戻ってきたのは13時33分。
 この時期、新緑とつつじ・シャクナゲがきれいであった。ウグイスの鳴き声も、あちこちで聞こえてきた。

 




社会主義への挑戦 1945-1971〈シリーズ 中国近現代史 4〉 (岩波新書)

社会主義への挑戦 1945-1971〈シリーズ 中国近現代史 4〉 (岩波新書)

 本書は、シリーズ中国近現代史の4巻目。1945年から71年までの記述である。中国革命が成功した一方で、大躍進運動の失敗、人民公社の失敗、国民を未曾有の混乱に陥れた「文化大革命」。その中心には常に毛沢東がいた。
 日本でも、大躍進運動人民公社の建設などは、当時大いにもてはやされその成功だ宣伝された。しかし、その実態は成功に値しないものであった。
 1957年から続いた自然災害で、中国農業は大被害を受けた。「中国現代史」(改定版 岩村三千夫・野原四郎 岩波新書 1964年7月)を読んだことがあるが、そこでは「ふるい中国であったならば、1960年のような規模の自然災害を1年受けただけでも、被災地区の農民は郷土を捨てて離村し、至るところで数十万から数百万もの餓死者を出した。しかし、新しい中国のもとで、3年続きの自然災害を受けても餓死者はでなかったし、離村現象さえみられず、農民はあくまでも郷土をまもって生産をつづけた。この一つのことをもってしても、新中国10余年の改造と建設が、いかに大地に深く根をおろしたかをしることができる。」と書いてあったが、実態はそうではないことを「社会主義への挑戦」は教えてくれている。それだけ、中国の実情が世界にわかるようになったと言うことか。
 そう言えば、「人民公社は拡がり深まる」(1960年2月 岩波新書 著者A.L.
ストロング 西園寺公一訳)というのも読んだことがある。

 ところでこの「シリーズ中国近現代史」は全6巻の構成なのだが、「社会主義への挑戦」が2011年1月に出版されて以降、⑤「開発主義の時代へ」と⑥「中国近現代史をどう見るか」がまだ刊行されていない。それだけ、中国を書くことが困難だと言うことか、それとも担当執筆者の遅筆のせいなのか、私は前者であると考えている。




我が家の絵馬 東京・根津神社  2012年7月7日購入



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇親が片親 御座らぬ故に 人も嘲(あな)づりや 身も痩せる
〇親は子と言て 尋ねもするが 親を尋ぬる 子は稀な
〇親の意見と 茄子(なすび)の花は 千に一つも 仇が無い