「最後まで残った空海の道」など行事いろいろ と 「鉄道落語」

 先週9日(木)は東京で、B型肝炎訴訟の恒久対策会議と、肝炎フォーラム(B型肝炎訴訟・薬害肝炎・日肝協で構成)の会議に参加した。肝炎の恒久対策をどうするか、厚労大臣との定期協議には、どんなことを要請するのかなどなど、議題がたくさんあって時間が足らず、消化不良気味の会議であった。
 翌日は午前中の飛行機で徳島に帰り、午後からは原水協主催の平和行進が阿波市であったので参加した。阿波市庁舎では阿波市長と懇談した。懇談後、庁舎前で市長を真ん中にして恒例の記念撮影。

 11日(土)は午後から映画「ひまわり」を連れ合いと観に行った。この作品は沖縄復帰40周年企画作品として製作されている。
 製作委員会のホームページに作品のストーリーが紹介されていた。
 「激しい爆音とともに米軍のヘリが沖縄国際大学へ墜落した。事故現場を見た山城良太は、52年前の石川市(現うるま市)の空を思い出していた。良太は宮森小学生6年生で仲良しの、茂と豊と二年生の一平達と元気に遊び回っていた。新学期、担任の先生が転校生の宮城広子を紹介する。良太はほのかな恋心を抱いた。沖縄の青い空の下で、良太の家族も、一平の家族も、広子の家族も一生懸命に生きていた。1959年6月30日、突然、米軍のジェット戦闘機が墜落し炎上しながら宮森小学校へ激突した。悲鳴をあげながら逃げまどう子ども達、良太は広子を助けようとしたが、広子は大きな傷を負い息絶えていた。校庭には一平の変わり果てた姿があった。悲しむように花壇のひまわりが風に揺れていた。
 それから53年目の2012年、年老いた良太(長塚京三)は妻を失い娘の世話を受けている。孫である大学生の琉一(須賀健太)はゼミ仲間と共に沖縄国際大学へリ墜落事件と宮森小ジェット戦闘機墜落事件をレポート活動を始めるが、頑なに事件の真相を語らない良太など、事件の傷跡は今も深く遺族の心を苦しめている。琉一はゼミ仲間と共に基地と平和を考えるピース・スカイコンサートを決意するが、恋人の加奈(能年玲奈)との不和など、コンサートを前に様々な問題が起きはじめる・・・」
 実際に沖縄で起きた2つの墜落事故を柱に、今の沖縄と沖縄人が置かれている状況が描かれている。アメリカの不当な長期占領と、それを認め続ける自民党政権民主党政権も含め)に今の沖縄・日本にとって平和とは何かを問いかけている。

 12日は、「第19回最後まで残った空海の道」があり、私と連れ合いは四国11番札所藤井寺から12番札所焼山寺、鍋岩コースに参加した。山道コースのここには511人が参加。気温も高く大変であった。今回は鍋岩まで行かずに、焼山寺でストップした。この日は母の日であったので、水戸や駒ケ根の娘・孫たちからプレゼントと電話があって、連れ合いの頬はゆるみっぱなしであった。
 
 9日〜10日、往復の飛行機で読むために持参した本が「鉄道落語」。

 東西4人の落語家が、落語にまつわる新作落語を披露してくれる。又対談もあり、鉄道オタクぶりが楽しい。とにかくこの本、「注」が多い。オタクの人達にとっては常識だろうが鉄道オタクでない者にとっては、鉄道専門用語はさっぱりわからない。解らないものを解らせて、落語に仕立て上げるのだから、その情熱には感心させられる。
 交通新聞社の新書シリーズの一冊であるが、他にも面白そうなタイトルの本がたくさんある。



我が家の絵馬  岡山 最上稲荷山  2003年5月28日購入



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇親の無い子を 見る度思ふ 親は生きたる 神仏
〇寒や小寒や 山から来ても 親ぢゃなければ 茶も呉れぬ
〇親に會ひ度(た)か 立木を見やれ 嵐吹雪の する夜さに