「全国B型肝炎訴訟基本合意2周年集会」に参加 と 「どどいつ入門」

 一昨日(6月28日)は全国B型肝炎訴訟基本合意2周年集会が東京の星陵会館であったので、同じ阿波市のNさんと参加した。大阪原告団弁護団も40名近くの大人数で、全国から250名ほどの参加で、新たな前進を誓い合った。久し振りに会う顔も多く、またこの間に全国の原告も多く増えたので新たに見かける人もあった。
 一昨年6月28日の国との基本合意の後、提訴者数は増えたものの国の推定する被害者数40数万人からみればまだまだ少ない。6月27日現在の全国B型肝炎訴訟原告団弁護団に所属する提訴者数は9,317名(被害者数8,567名)で被害者数の2%に満たない。その内和解者数は3,769名である。被害者掘り起こしのために、全国各地で弁護団原告団が協力して、マスコミ・行政にも働きかけて肝炎医療講演会と合わせた相談会を開催しているが、なかなか進まないのが実態である。国と地方自治体の積極的な働きかけが必要と思う。
 集会では、パワーポイントを用いて全国B型肝炎訴訟のあゆみが紹介された。国会議員要請・各政党要請・厚労省交渉・幾多の集会の模様が映し出され、大変だった取り組みの成果が確認された。また、恒久対策活動で獲得してきたこととこれからの課題について、真相究明活動で獲得してきたことと今後の目標、裁判上獲得してきたことと今後の課題、等が報告された。これらのことは、新しい原告が圧倒的に多くなる中で、その人たちにB型肝炎訴訟の意義・目的・今後の方向を知ってもらうことが、運動を継続・発展させる上で非常に大事だということから、企画されたものと思う。
 来賓として、B型肝炎訴訟を支えてくれた多くの団体から挨拶があった。薬害イレッサ訴訟、薬害肝炎訴訟、B型肝炎訴訟支える会、日肝協など、これらの団体の力添えが、各政党・国会議員・マスコミらの協力と相まって今日に至ったと思われた。
 集会ではアピールが採択され、
 「私たちは、引き続き国に対してこれらの周知徹底を求めるとともに、全国各地で被害相談会や医療機関自治体への働きかけなどを行い、広く被害者が救済されるための活動に取り組みます。」
 「私たちは、立証手段を失ってしまった多くの被害者を実質的に救済するためにも、集団予防接種の注射器打ち回し以外の輸血等の医療的原因で肝炎ウイルスに感染した人々も含めた、全てのウイルス性肝炎患者を対象とした各種の恒久対策を充実させる活動に引き続き取り組みます。とりわけ、肝硬変・肝がん患者の医療費助成の拡大や、肝硬変患者の身障者認定、障害年金認定基準の緩和に向けた運動を強く求めていきます。」
 「私たちは、厚労省に対し、再発防止を全うするための組織のあり方の議論を続ける場を速やかに設置するように求めるとともに、未曾有の被害を受けた原告団及びその弁護団として、同様の被害が生じないように適正な厚生行政が行われるべく引き続き発言し、監視していくなどの活動を行っていくことを誓います。」と決意を新たにした。


 集会に先立ち「全国B型肝炎訴訟原告団代議員総会」が行われた。全国原告団規約の改正(代議員定数の改定、共同代表について)、被害者実態調査について、B型肝炎のユニバーサルワクチンについての私たちの見解、今後の原告団活動について、今までの活動を紹介し今後の活動の発展を促す役割の写真集の刊行について、会計報告などが話し合われた。
 しかし、何といっても最大の議題は、今までB型肝炎訴訟の原告団の中心となって活動を続けてきた谷口三枝子さん(九州原告団)の退任であった。この人の存在なくして、B型肝炎訴訟原告団の活動は語れない。谷口さん、大変ご苦労様でした。今後も副代表として活動には参加する。新たに代表となったのは田中義信さん(東京)。田中さんは厚労省の検証会議に原告団代表として九州の梁井さんとともに、B型肝炎が蔓延した真相の究明と再発防止のために働き続けてきた。


 集会後は会場を新橋駅前の第一ホテル東京に移して、レセプションが行われた。会場には、細川元厚労大臣(弁護士)、細野豪志議員(民主党)、小池晃参議院議員共産党・医師)らも参加して、挨拶をして今後もB型肝炎訴訟支援のために協力すると語った。嬉しかったのははばたき合同法律事務所(茨城・水戸)からも2名の参加があって(娘婿が仕事をしている)、各地で取り組みが進んでいることが理解された事である。


小池元参議院議員


谷口元代表と田中新代表


 翌日は東京で仕事をしている息子を誘って、松戸に住んでいる兄夫婦と一緒に柏にある両親の墓参りをした。おいしい昼食をおごってもらった。ありがとう。




我が家の絵馬 神戸・生田神社 2010年8月15日購入



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
 本書は、大阪にB型肝炎訴訟の傍聴に行った時、梅田の古書店街の杉本梁江堂で見つけたもの。2011年4月に購入。実はこの本を買った時中道風迅洞は亡くなっているものだと思っていたのだが、調べて見ると健在であった。買った年に亡くなった。なにせ、私はNHKの「とんち教室」(1949年1月3日〜1968年3月28日にかけて放送されたNHKラジオのバラエティー番組である。テーマ曲は「むすんでひらいて」)で彼の名前を知っていたため、当時もうそこそこの年齢だとばかり思っていたのである。


 ウィキペディアによると、『中道風迅洞(なかみち・ふうじんどう 1919年〜2011年)は青森県八戸市出身の元日本放送協会職員、どどいつ作家、詩人。本名・中道定雄(なかみち・さだお)早稲田大学卒。1941年東京中央放送局(後のNHK)に入局。バラエティー番組「とんち教室」や、ドキュメンタリー番組、テレビ文芸部部長、芸能局長などを歴任。退職後は詩人、どどいつ作家となる。NHKラジオ第1放送のリスナー参加の番組「文芸選評」で「どどいつ」の選者として参加。著書に「新編・どどいつ入門」』

 大辞泉小学館)によると、どどいつとは『俗曲の一。寛政(1789〜1801)末期から文化(1804〜1818)初期のころ、潮来節よしこの節を母体として成立。天保(1830〜1844)末期に江戸の都々逸坊扇歌が寄席で歌って流行した。七・七・七・五の26文字で、男女の機微を表現したものが多い』とあった。

〇泣くときひとりで ながめる空の 月にロケット やぼな国
〇ハブラシくわえて ついてる嘘へ またかと見抜いた ご慧眼
〇逢えば逢えたで 蛍光灯の 色を気にする さびしがり