「和解のために」 教科書・慰安婦・靖国・独島  朴裕河

和解のために?教科書・慰安婦・靖国・独島 (平凡社ライブラリー740)

和解のために?教科書・慰安婦・靖国・独島 (平凡社ライブラリー740)

 本書は2006年11月に平凡社より刊行された「和解のために」に若干の増補を加えたもの。
 著者は日本語版あとがきで、「この本は2005年9月に韓国で出版された『和解のために』の日本語翻訳を部分的に書き直したものである。韓国版では韓国批判をやや強くし、日本批判をいくぶん控え目にしていた。しかし日本語版を出すにあたって、日本への批判を少し加筆した。その理由は、この本をその場に必要な本にしたかったからである。」と紹介している。
 標題のように、日韓関係では重要な相互理解の課題である、「教科書・慰安婦靖国・独島」について書かれている。
 教科書問題では、主に「つくる会」の教科書に触れて、執筆メンバーの民族主義的な考えについて、「民族主義の目標は、端的にいえば『誇り』を植えつけ愛国心を鼓吹し、その愛国心によって、いつなんどきでも国家に身を捧げ『献身』する『国民』をつくるところにある。この人々がめざすいわゆる『歴史歪曲』もまた、過去が彼らの自尊心に傷を負わせることがあってはならないという、『誇り』に対する執着心が引き起こしたことである。」と指摘している。
 そして、韓国内の「みずからの被害にのみ執着し強調する教育」については、「思考力よりは怒りを育てるばかりで、自分は決してそのような過ちに陥ることがないと錯覚するか、あるいは逆にわがほうも力を養うのだとする、強者主義をめざす者たちを再生産するだけである。」と批判している。
 日本の民族主義的な考えを批判する一方で、自らも民族主義的な考えに傾いてはならないとして、「韓国の日本教科書批判が究極的に有効なものになるには、国のために身を捧げることを当然視する教育と自己中心的な民族主義の修正が、まずなされるべきである。」としている。
 この考え方は、慰安婦靖国・独島を語る時にも貫かれていてる。著者は、第5章「和解のために」の最後に、「暴力的思考と憎悪と嫌悪を正当化することでみずからの居場所を確保しようとする、排他的な民族主義の言辞にともに抵抗できるとき、韓日間の『友情』は、はじめてその実を結ぶことだろう。恐怖は警戒心と暴力を呼ぶ。恐怖心にかられることが相手に対する無知の証でもあるという点では、韓日両国にいま必要なことは、互いの痛みについていま少し理解し合うことである。」と結んでいる。
 日韓両国政府がこのような立場に立って、外交・国内政治を進めて欲しいものである。



我が家の絵馬  仙台・青葉城浦安宮


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
〇このまま死んでも いい極楽の 夢をうずめる 雨の音
〇たったひとつの いのちのあかり 昏れりゃあなたが つけにくる
〇咲いたこの恋 ガラスのいのち 支え手ひとりじゃ 割れやすく