「鉄道唱歌」の謎

 『「鉄道唱歌」の謎』(交通新聞社 新書 840円)を読んだ。
 「売れっ子作詞家&新進気鋭の出版プロデューサー、2人が仕掛けた“ヒットの秘策”とは? 明治33(1900)年の発表以降、1世紀以上にわたって歌い継がれている「鉄道唱歌」。その誕生の裏には“新進気鋭の出版プロデューサー”と“マルチに活躍する売れっ子作詞家”、2つの才能の奇跡的な邂逅と、時代をとらえた“ヒットの仕掛け”があった! 企画の閃き・立ち上げから、オファー、意見の衝突と苦闘、発売後の販売・宣伝戦略まで、商品をいかに大衆に売るか、そして類似商品の乱発にどう対応していくか……現代にも通ずる明治の人々の奮闘ぶりとヒットの秘密を、当時の大衆歌謡史や世相を紐解きながら検証する。」と、表紙カバーの裏に紹介されていた。

 交通新聞社の出版物は鉄道ファンにとっては楽しい本ばかりなのであろう。ファンでない私が読んだのは「鉄道落語」だけである。
 鉄道唱歌については、多くの人がその成り立ちや謎について書いていることが紹介されている。
 「鉄道唱歌」は2人の競作で作曲がなされていて、残ったのは当時著名な上真行(うえさねみち)ではなく、弟子に当たる多(おおの)梅稚であった。
 この後、各地の鉄道・名所旧跡にちなんだ鉄道唱歌が作られているようで、鉄道に関するものは文明の最先端であったから、出版物としても大当たりだったのだろう。
 多はもともとは宮廷の雅楽の家柄で、『古事記』の編纂者の太安万侶の子孫であるという。
 本書では作詞家の大和田建樹が作詞した各地の鉄道唱歌や、大和田と出版を企画した三木佐助年表、詞の移り変わりなどが資料として掲載されていて、読んでいて興味深いものがある。
 鉄道唱歌の正式名称は「地理教育・鐡道唱歌」で教育の一環として作られている。私が知っている歌詞は一番だけ。しかし、全部で66番まである。
 当時の子どもたちはこれを全て暗唱したというからすごい。

 1 汽笛一声新橋を
   はや我汽車は離れたり
   愛宕の山に入りのこる
   月を旅路の友として

 66 明けなば更に乗りかへて
   山陽道を進ままし
   天気は明日も望(のぞみ)あり
   柳にかすむ月の影

 この鉄道唱歌、日本初の鉄道始発駅である品川駅では開業130年を記念して、平成14年(2002年)6月から東海道線発車メロディーとして採用しているというから、その息は真に長い。1900年作詞・作曲なので113年にもなる。




我が家の絵馬  愛媛 大三島



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○かねて手管とわしや知りながら だまされて咲くむろの梅
○可愛ゆけりやこそ七里もかよへ 憎くて七里が通わりよか
○たとえ花梨のどう(胴)なるとても 抱いてねじめのたがやさん