「なんで山登るねん」とB型肝炎会議・草刈り

 昨日は、東京でB型肝炎訴訟関係の全国恒久対策PT会議があったので参加してきた。会議では、厚労大臣との協議について、地方議会での意見書採択の取り組み、今後の日程などが話し合われた。我が家に帰りついたのは午後10時であった。
 往復の飛行機の中で読んだのが「なんで山登るねん」。

なんで山登るねん―わが自伝的登山論 (河出文庫)

なんで山登るねん―わが自伝的登山論 (河出文庫)

 著者は1936年京都で生まれた登山家。京都府立大学在学中に登山部に入って下記のような登山を行っている。
 本の帯には、「自然と人生のバイブル、自伝的登山論の決定版。”汎アルピニズム”の旗手が綴った世代を超えて圧倒的な支持を得た待望久しい名著の文庫化。」とあった。月刊誌「山と渓谷」に1975年1月から77年まで3年間毎月掲載した文章は1978年に山と渓谷社から単行本で出され、2002年に文庫化されたものである。それを昨年古書店で購入した。
 関西弁の話し言葉で書かれていて、それだけでも楽しいのに、見出しの付け方(編集者がつけたのらしいが)がこれまた楽しい。40年近く前の文章が60歳から登山を始めた私に、生き生きと迫って来る。間に少し辛口の文明批評も入っていて、それでいてかっこをつけた文章でないのが良い。
 「日本の山登り状況をバックに歌われる国籍不明の山の歌」という見出しの文章の中では、「そうした意味で、宮田輝のあの気色悪い笑顔と共に日本を巡った『ふるさとの歌まつり』は、民謡の去勢巡業だった、とぼくは思います。山のうたにしたところで、『ダーク・ダックス』が歌いだした頃からおかしくなったのかも知れません。いまの山の歌の大半は、ある意味では、まったく国籍不明の、日本の山にフィットしない、お行儀のよい文部省唱歌になっているのではないでしょうか。」と書いているが、同感である。
 著者にとっては剱岳がホームグラウンド。ここで、仲間と10日も20日も、あちこちを訪ね歩いて、時には岩魚釣りもしながら過ごして暮す。とはいえ、仲間の死や自らの身の危険にも遭遇する。死とは隣り合わせであるが、至福の時であったのであろう。

 1959年8月 日本、北アルプス劔岳、八ツ峰VI峰Bフェース京府大ルート初登
 1960年1月 日本、北アルプス劔岳、東大谷G1積雪期初登
 1965年 パキスタンカラコルムヒマラヤ、ディラン峰遠征
 1969年 パキスタン、スワットヒマラヤ、マナリ峠初踏査
 1971年 ソ連コーカサス山群、シュロフスキー峰、シヘリダ峰遠征
 1975年 パキスタンカラコルムヒマラヤ、ラトック II峰遠征
 1979年 パキスタンカラコルムヒマラヤ、ラトック I峰遠征
 1981年 中国、コングール峰遠征


 東京に行く前の3日間は、我が家の前にある市有地の草刈りをした。毎年、ここいらでは10月初めの日曜日に「道つくり」と称して、地域全体で道路や神社の草取りをする。最近は道路も舗装されて雑草もあまりないので、作業は2時間ほどで終わるのだが、その市有地は30坪ほどあり、草ぼうぼう。高いところでは70センチ程の背丈になる。我が家の前なので見苦しいので、道作りの前に年に2回ほど自分で草刈りをするのである。今回は、総計約7時間かかった。草刈り機の刃も変えなければならないし、ガソリン代も必要、今回は修理もした。えらい出費であった。常日頃使っていない筋肉を使うので、あちらこちらが筋肉痛。



我が家の絵馬 東京・日枝神社  2010年12月9日購入


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店)
○あけくれこがれて 見た夢さめて けさは夢やら うつつやら
○今日はとりわけ 逢いとうてならぬ 日日におろかは なけれども
○灰に書いては 消す男の名 火箸の手前も はずかしや