駒ケ根行きと「随筆 本が崩れる」

 連れ合いと駒ケ根に行ってきた。これは、子どもたち3人による招待。二女のいる駒ケ根で皆で遊ぼうということになって、連休を利用して集まったのだ。二女の家は全くの小さな山小屋みたいなので、12日は「駒ケ根ふるさとの家」、13日は「駒ケ根高原家族旅行村」で宿泊。孫たち含めて総勢11人で楽しく語り・食事をし・飲んで3日間を過ごした。13日は、妊娠中の二女を残して皆で戸倉山(伊那富士 1681m)に登ってきた。4歳の孫二人も元気に登った。頂上から見た中央アルプス南アルプス北アルプスの山々は、晴天に恵まれてはっきりと観ることができた。
 しかし、連休なので高速道路は込んでいた。11日に前泊で大阪まで行ったのだが、定刻よりも50分遅れで大阪・梅田着。12日の大阪からの駒ケ根行きは1時間半の延着。14日の帰りの駒ケ根から名古屋行きは30分の延着であった。


 往復の高速バス車中で読んだのが「随筆 本が崩れる」。

随筆 本が崩れる (文春新書)

随筆 本が崩れる (文春新書)

 以前(8月15日)のブログで岡崎武志の「蔵書の苦しみ」について書いたが、その中で紹介されていたものである。草森紳一の本は読んだことが無い。
 草森はこう書いている。「やたらと本が増殖するようになったのは、『資料もの』をやるようになったからだとさきに述べたが、他にも理由があって、『読書人』でなくなったからである。物書きは、学者も含めて、『読書人』といえない。むかし、まだ『読書人』であったころ、けっして本を踏んだり、またいだりしたことはなかった。ところが床積みするようになってから、おそれ多し、と思ってなどいられなくなった。床に転がっている本なども、ぼんぼん足で蹴っとばすようになった。」
 とにかく、本が本棚には入りきれなくなって本棚や壁に沿わせて平積みする。それでも足りなくなって、台所・洗面所・寝室など風呂場をのぞいてあらゆる空間を占拠する。地震の時には本が崩れてトイレのドアが開かなくなったというのだから悲惨である。蟹の横這いの恰好で廊下を歩く羽目になる、というのだから、蔵書も半端なものではない。
 もっともこの人物の有り様は、他人から見たら奇人・変人に属するだろう。タイトルの「本が崩れる」と同じの章の部分は、全く傑作である。わずかなことについても、長々と描写する能力はたいしたものである。楽しい一冊であった。




我が家の絵馬  京都・比叡山文殊楼  2011年10月2日購入



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○凍る硯に 息ふきかけて こぼす涙に しめる筆
○枕出せとは つれない言葉 そばにある膝 しりながら
○一人笑うて 暮そうよりも 二人涙で くらしたい