「雪山・藪山」川崎精雄

雪山・藪山 (中公文庫 M 116)

雪山・藪山 (中公文庫 M 116)

 中公文庫では山に関する本がたくさん出版されている。この本は確か今年の1月に徳島の古書店「モウラ」で購入したと思う。ところが、先月時間が少しあったのでモウラに行ったのだが、既に店じまいをしていた。インターネットや電子書籍が普及してきて、古書店はもう古いというのだろうか。誠に残念であった。
 著者の川崎さん、1907年(明治40年)生まれとあった。2008年に亡くなられたようだ。山については60歳から登り始めたので、ほとんど知らない私だが、本書の文章はなかなかのものであると思った。
 筆致が丁寧で、自然についての観察が優しいというのが読んでの印象であった。とはいえ、戦前の学生時代から山に登っているのだから、今の登山スタイルとは全く違う。車やバス・電車を降りたら、すぐそこは登山口という安直なものではなく、バスを降りて、いくつもの集落を歩いて、そこでやっと山の取付きにたどり着くわけだから、登山も大仕事である。それだからこそ、達成感も大きかったのではないか。登山道などほとんどなく、藪漕ぎばかりで地図とコンパスを持って、自然に挑戦し交わっている。
 私も含めてこの頃は登山道を踏み外さないようにして、登るばかりである。安全のためではあるが、自然の中で生きる術をなくしてきた現代人の危うさが、本書を読んでいると気付かされる。
 「藪山といっても、道のある藪山ではない。徹頭徹尾藪こぎを要する山でなければ、ここに記すカテゴリーに入らない。一体、道のある山を登ることが、果たして登山と言えるかどうかという疑問は、結論はどうでも、少しまともに『山』を考える人ならすぐ浮かぶはずだ。」(1941年「山小屋」115号)
 「私は、地元の山岳会や宿屋がやたらに山道を開きたがる傾向を、やめて貰いたく思っている。残り少ない山を俗化させることには大反対である。」(1966年「岳人」225号)などの一文は、著者の真骨頂を示している。
 今から50年近くも前でさえ「俗化」なのであるから、現在は果たしてどう評価されるのであろうか。




我が家の絵馬  東京・浅草寺舞保存会  金龍の舞    2013年11月17日購入



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○花も紅葉も もうあきらめた ぬしのたよりを まつばかり
○来てはちらちら 思わせぶりな 今日もとまらぬ 秋の蝶
○この雪に よう来なましたと互いに積る 思いの深さを さしてみる