北京短期語学留学⑮

 東京で肝炎フォーラムがあったので参加した。厚労省の肝炎対策推進協議会が3月17日にあるのでその打ち合わせと、3月12日の東京での1,000人集会とそれに先立つ国会議員要請行動の打ち合わせのためであった。

 北京14日目(1月20日・月・晴れ)6時半起床。昨晩からの発熱・咳・鼻水・喉痛で辛い。昨日の外出がこたえたのであろう。
 スーパー魏公村店で、お土産を購入した。
 この日は「紅楼夢」の舞台を公園にした「大観園」に行きたかったのだが、宿舎で我慢。「紅楼夢」は清朝中期乾隆帝の時代(18世紀中頃)に書かれた中国長篇白話小説。作者は曹雪芹とするのが定説。『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』とともに旧中国の傑作古典小説に数えられ、「中国四大名著」とも言われている。石頭記(せきとうき)ともいう。平凡社から「中国古典文学大系」(1969年刊 伊藤漱平訳)として3巻(平凡社ライブラリーでは12冊)が出されている。読んだのは30数年前になる。
 ガイドブック(地球の歩き方 北京)によると、「1989年創設の広大な庭園。明清代には皇家の菜園だった土地に、小説の記述をもとに古代建築技法や伝統的造園法を用いて設計建築された。」とあった。
 平凡社版の上巻の最後に、「大観園の図」というのがあり、「この図は『紅楼夢』展(1965年)に出品された精巧な復元模型をもとに模写したもの。」と解説していた。北京の「大観園」もその模型をを基にしたのであろうか。

 民大の診療所にM澤さん・兄の付き添いで行った。(詳細は、1月22日の記事は参照)                        
 夜は、M澤さん・土江さん・T原さん・兄らと、モンゴル料理店で食事をした。T原さんは2年ほど中国に留学したいと語っていた。1年目は中国語の勉強で、2年目は美術の勉強が目標のようであった。実現すると良い。日本に帰ったら、中国語検定2級に挑戦すると言っているが、彼女なら問題はないであろう。
 夜8時過ぎに清TさんとH野さんが私らの部屋にやってきた。北京最後の夜をビールで乾杯した。最高年齢のH野さんはいつまでも元気。清Tさんは礼儀正しい人で、話をしていてぞんざいな私が気恥ずかしい。とにかく皆さん、勉強熱心である。


 北京15日目(1月21日・火・晴れ)4時30分起床。数日前から奥歯に違和感があったが、朝パンを食べると何か硬いものが歯に当たった。取り出してみると、左下奥歯のかぶせが取れているではないか。
 6時に宿舎をバスで出発して、北京空港に向かった。6時40分に飛行場着。飛行機は8時55分発の予定であったが、30分ほど遅れた。機内放送では東京の気温は11度。北京では−5度から+5度だったので、大きな違いである。乾燥し寒かった北京の空気から、少しは暖かい東京の空気に触れホッとした。
 14時20分に成田に到着した。一晩、兄宅でゆっくりしたかったのだが、肝炎の恒久対策を求める会議が沖縄で25日にあり、前泊しなければならない。14時40分の成田発羽田行きのバスに乗りこんだ。このバス、最初の乗車は2人だけ。途中数人が乗り込んだが、果たして採算にあっているのか、はなはだ心配した。19時過ぎの徳島行きに乗り、我が家に着いたのは22時過ぎであった。

 今回の北京短期語学留学、両替した14万円から最初に5,000元を授業料などで支払い、残った2,800元と徳島から持参した1,100元と合わせ3,900元ほどあったのだが、生活費・本の購入費などを合わせ使ったのは2,960元ほどであった。昨年の上海での語学留学では一泊旅行もあったので費用が要ったが、今回は安上がりであった。



我が家のだるま  香川・高松 宮内フサ(1985年102歳で死去)相撲取りだるま 92歳の作品 14cm


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○まさかそれとも 言い出しかねて 娘伏し目で 赤い顔
○娘したがる その親たちは させてみたがる 繻子の帯
○年もゆかぬに さぞ痛かろう 初の旅路の 鞋(わらじ)くい