全国肝炎恒久対策班会議(名古屋)と高橋朋己さんの訃報

 昨日(3月8日)、名古屋で肝炎の全国恒久対策班会議があったので参加した。全国から100名を超える参加者があり、活発な論議がされた。会議の前に名古屋駅前で肝炎署名行動があり、30名の参加で336筆の協力があったことが報告された。
 今回の議題は、肝炎対策の地方議会決議と100万人署名の途中経過、東京で開かれる3.12「オールジャパン肝炎サポート大集会」の参加集約状況、今年の大臣協議に向けた質問事項の整理、大臣協議の協議事項、日程確認などであった。

 各地で3月議会が始まり、地方議会請願の取り組みが幅広く行われていることが理解された。100万人署名でも各人がやれる範囲で頑張っていることがわかったが、驚いたのは大阪原告副代表のI島さんであった。身近な親戚知人だけでなく、旧職場、十数年前に卒業した大学の友人などに呼びかけて、現在までに2,900筆を超える協力を得ていて、4,000筆を超えるだろうとのことであった。署名活動は全く初めてとのことであったが、素晴らしいものであった。そのほか、女性でも地道に頑張っている発言(大阪)があったが、皆さんいろいろと工夫して署名活動に取り組んでいる。
 3.12オールジャパン肝炎サポート大集会には目標1,000名の参加のところ、850名の参加が現在まで確認され、議員も50名が参加するという。この力が肝硬変・肝がんへの医療費助成や障害認定の適正化を進ませるきっかけになると思う。

 この会議で一番残念だったのは、高橋朋己さんの訃報(3月7日)であった。2月29日のブログに九州のS原さんの訃報を書いた。12月15日に札幌で開かれた会議の参加後の死であった。この札幌の会議の時、北海道原告代表で全国副代表の高橋さんが、病院を抜け出して挨拶をされた。杖をついて登壇するときも人の助けを借りなければならない状態で、それでも一日でも早い肝炎対策の充実を求めて話をされた。話を聞いていても彼の苦しい息遣いが聞こえてきた。S原さんも彼も国に殺されたと言っても過言ではない。

 北海道の方が近況を話してくれた。病床からいろんな方に署名をお願いして377筆の署名を集めたという。8日のこの会議にも医師同伴で参加するつもりであったという。会場では、活動中の彼の写真が何枚も紹介された。これらの方の志を無にしない活動が求められている。



我が家のだるま  白鳥張子だるま  8.5cm


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○浅利はまぐり やれ待てしじみさざいなことから つのを出し
○手に手つくした おもとが枯れて ちよとさした柳に 芽がふいた
○どなべすり鉢 かんしゃくおこし わんも茶わんも むこうづら