肝炎請願で意見陳述(鳴門市)委員会採択

 今日(3月10日)、鳴門市議会の生活福祉委員会があり、そこで請願人の一人として意見陳述をした。大阪からは、中島弁護士が傍聴に来てくれた。委員会では東谷伸治議員が紹介議員を代表して、意見を述べてくれた。全委員一致の採択であった。
 意見陳述の内容は以下の通りである。


 徳島肝炎の会の有川です。
私たちが出している、「ウイルス性肝炎患者に対する医療費助成の拡充に関する請願」に関して、お時間を頂きありがとうございます。
 私は、徳島で「徳島肝炎の会」というのを30数年前に立ち上げています。全国にはB型肝炎ウイルス感染者が110万人から140万人、C型肝炎ウイルス感染者は190万人から230万人いると推定されています。
 徳島県ではB型・C型あわせて19,500人から23,900人の感染者がいると、県は推定しています。しかも、2010年度の徳島県の肝疾患死亡率は全国ワースト1でした。徳島県にとって、肝炎撲滅はもはや見過ごすことのできない課題となっています。
 徳島では毎年「肝がん撲滅の市民公開講座」開かれ、患者の立場からも発言の時間をいただいています。私どもの古い会員さんが、2年半ほど前に「肝がん治療を体験して」と題して、そこで話をされました。彼は、典型的なB型肝炎の母親から子どもに感染する垂直感染の方で、母親が肝硬変で71歳、叔父も肝硬変で、長兄は肝がんで亡くなりました。姉も75歳で慢性肝炎の治療中、次兄も69歳で肝硬変の治療中です。
 本人は1971年に献血をしたときに、B型慢性肝炎とわかりました。それ以来ずっと治療を続けてきましたが、2009年11月にCT検査で肝がんが見つかり、その年の12月に徳島大学で手術を行いました。20日間入院して、退院3日後に職場復帰しました。
彼には、重い障害を持つ一人息子さんがいます。今は32歳です。息子さんは全寮制の徳島県立ひのみね支援学校というところに入っていました。ところが18歳になって卒業したので出てゆかなければなりません。家に引き取って一緒に生活をすることになったのですが、奥さんを早くに亡くし、どうしようかと考えた末、建設関係の会社の設計の仕事を辞めて、障害者のための共同作業所を立ち上げました。収入は大幅に少なくなりましたが、子供と暮らすにはこれしかなかったわけです。
 自らの肝炎の病気と闘い重度の障害のある子供を育ててゆくことは、並大抵のことではありません。
 彼は市民公開講座のなかで、3つの願いを話しました。
 ①障害のある一人息子のために一日でも長生きすること。
 ②肝炎対策基本法を具体化して患者が救済されること。
 ③30年間こよなく愛した「三嶺(みうね)」のいただきに再び立つこと。
 厚労省の研究では、肝硬変・肝がんの患者は治療費が多くかかるだけでなく、収入も低い実態明らかになりました。そういった状況の中で、いまお話した親子は頑張って生活しています。
 肝炎患者も障害者と言えますが、障害者に関わって言いますと、障害者権利条約を1月20日に、日本は大変遅いですが国連の141番目の条約締結国になりました。私は、日本の障害者の国内法整備はたいへん遅れていると思います。障害者権利条約には「他の者との平等を基礎として」という言葉が30ヶ所出てくるそうです。
 肝硬変・肝がんの患者にとっては、この「他の者との平等を基礎として」というのが、「ウイルス性肝炎患者に対する医療費助成の拡充」にあたると考えます。他のものと、同じように生きてゆくには、こういう制度がどうしても不可欠です。
 彼の一日でも長生きするという願いは、医療費助成制度の創設がなければ実現できません。また、肝炎対策基本法の具体化という願いは、基本法にある「肝炎患者に係る経済的な負担を軽減するために必要な施策を講ずる」、「肝炎患者の療養生活の質の維持向上のために必要な施策を講ずる」を実現するには、今私たちが国に求めている「ウイルス性肝炎患者に対する医療費助成の拡充」であると私は考えています。
 先ほどの講演最後の彼の思いは「なおりたい なおしたい ただそれだけ」。でした。
 ぜひ、今日ご参加の委員におかれましても、この趣旨をご理解の上、制度の創設にお力をお貸しいただければと考えます。

 意見陳述を終えて、徳島県民医連を訪問した。すでに全日本民医連からも署名協力の要請が届いていたし徳島肝炎の会からも申し入れをしていた。
 また、徳島県医労連にも申し入れた。執行委員会で諮ってくれることになった。


 
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どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○しやくしなりやこそ おはちの中で つらいつとめの 飯を盛る
○あついぬるいの 好みがあって 酒のかん原 むずかしい
○のきのしずくに 秋風しみて あわれもよおす かりの声