B型肝炎訴訟大阪地裁期日参加と、「はじめての江戸川柳」、船窪のつつじ、美郷の湯

 昨日(23日)は大阪地裁で裁判があったので参加した。この傍聴には大阪市立大学の法学部学生も沢山参加していた。
 今回は、男性2人が意見陳述をした。原告番号1621番さんは現在73歳。15年前、会社の定期健診で肝機能異常を指摘され入院。初めてB型肝炎に感染していることを知り、それも肝硬変がかなり進行しているとのことであった。「入院した時に、10年以内に肝臓癌なるという医師の言葉が頭から離れず、心配して何も出来ず、倦怠感が増す日々でした。」と言われたしかも医師の指摘したとおり10年後に食道静脈瘤癌と診断されている。手術は成功したが肝癌を患ってから生活状況が大きく変化した。肝癌が再発すれば必ず「死」があると思い、「人を避け、家族との時間を避け、自分の殻に入ってしまった。」と語った。原告番号1621番さんは、国に対し、「私を含め多くの被害者に対して、命があるうちに解決し、肝炎患者が差別されることのない社会を構築すべきであるし、私はそのことを心から願っている。」と最後を締めくくった。

 原告番号2056番さんは、私と同じ68歳。13年前にB型肝炎ウイルスに感染していることを知った。現在は肝硬変。新聞の報道で、「乳幼児期の集団予防接種における注射針・注射筒の使い回しが原因でB型肝炎ウイルスに感染した被害者が沢山いて、国はかなり以前からこのことを知りながら国民にその事実を周知させていなかったことを知った。」としてB型肝炎訴訟に参加した。そして「国は、多くの肝炎ウイルス感染者を増やしたことに責任があるのですから、少なくとも、ウイルス性の肝硬変や肝がんの患者に対し、もっと医療費の助成をして頂きたい。」と話した。

 長野弁護団長は、基本合意3周年を迎える時点での個別救済が進んでなく、被害者総数(厚労省推計:40万人以上)の20%台しかいなく、大多数の被害者が被害者であることを知らない、被害者であることを立証できる術がない状況にあることを指摘した。また、被害者への国の回答が遅れてきていることも指摘した。
 被害者が救済されないこと、肝炎がわが国の「国民病」であることから、ウイルス性肝炎患者に対する「恒久対策」の実現の必要性が語られた。その恒久対策の課題が、肝硬変・肝がん患者に対する医療費助成の実現にある。
 医療費助成に加えて身体障害者認定基準の緩和を求める国会請願署名は48万筆を越え、請願署名の「紹介議員」になる国会議員も200名を越えている、さらに地方議会の意見書も全国で183自治体(意見書採択自治体の人口の合計は8,678万人)に達しており、国に対して医療費助成などを実現することの重要性を指摘した。
 また、肝がんを発症(再発)した原告について、その初発が提訴より20年以上前であることを理由とした請求を認めない行為は、患者の実態に合わず道理にも合わないと指摘した。

 裁判の後、報告集会・原告団総会が大阪弁護士会館で開かれた。この日意見陳述した原告と担当弁護士から感想が述べられた。また、この間の活動の報告(DVDによる)、関西テレビの肝炎関係の報道(DVDによる)、4月22日・5月20日の国会行動の報告がされた。
 さらに、大阪肝臓病友の会の西村慎太郎さんによる「肝臓病と患者会活動」の話があった。西村さんとは長年の知り合いで、徳島肝炎の会も大変お世話になっている。西村さんとは四国の愛媛・香川・高知の患者会作り・交流でご一緒したことが何度もある。
 その後、いくつかの班に分かれて交流を行った。兵庫・大阪・和歌山・私・弁護士・大阪市立大学生が話し合った。和歌山の30歳台の男性は初めての参加で、いろいろと質問をした。これから自分の病気がどうなるのか、裁判はどうなるのか、心配事ばかりである。


 今日は、先日の徳島新聞に「船窪のつつじ」の記事が載っていたので連れ合いと行って見た。我が家から車で50分ほどのところで、高越山の近くにある。

 吉野川市の紹介では以下のとおりであった。
 阿波富士とも言われ美しい姿の高越山(標高1,133m)から奥野々山(標高1,159m)に通じる峰筋にあります。面積約3haの船底形の窪地(標高 1,060m)に朱赤色のオンツツジを中心に約1,200株が大群生しており、なかには樹齢400年を超えるものものや、高さ6mにおよぶものもあり、一株から20数本の主幹をもつ巨大なオンツツジも多いのが特徴で、これに匹敵する群落は西日本のどこにも見あたりません。
1985年(昭和60年)に「船窪のオンツツジ群落」として、国の天然記念物に指定されています。オンツツジは葉芽が花と同時に開くため、緑の若葉と赤い花とのコントラストが素晴らしく、また葉や花が他種に比べて大きいのが特徴です。葉は5〜8cm卵円状で、枝先に3個輪生状につきます。5月中・下旬には枝先に朱赤色の花が2〜3個咲きます。(雄しべは10個)


 以前見たのはいつだったのだろう。

 船窪のつつじの見事な景色を見た後に向かったのが、「美郷の湯」。私の古い知り合いの 人が、今年の四月から始めた施設である。とにかく、責任者の彼女、頑張り屋である。6人の子供(すべて女性)がいるが、末の子が彼女の施設で働いている。先日、きょうされん徳島支部の総会で出会ったが、その様子は前に書いた。彼女似のしっかり者という印象であった。
 以前は、美郷温泉といっていたのを改修した。改修前に、2回ほど行ったことがある。運営は㈱あおぎワークホームである。こう紹介されている。
 「平成7年8月1日に障害者の働く場、ふれあいの場所としてあおぎワークホームは開所いたしました。働く希望を持ちながら、社会参加の困難な障害者が作業所に通所して、皆と一緒に能力と個性に応じた作業を行っていくこと、また、興味と自信を持ち、働く生き甲斐を持って生活訓練等を受けることを目的として活動しています。 障害者通所小規模作業所・あおぎワークホームは、障害者自立支援法施行にともない、平成18年12月に組織を株式会社に移行し、平成19年1月16日に障害者の就労の場の一つとして、米粉100%のパンの店「アントハウス」を開店しました。
 連れ合いと昼食をとり湯にも入った。食事も湯も大満足である。
 美郷の湯は宿泊もできる。5室14人が宿泊できる、こじんまりとした宿である。是非皆さんご利用ください。
 美郷の湯 http://misatonoyu.com/


 著者小栗清吾平凡社新書の3冊目である。とにかく、楽しい句ばかりである。年中行事の項の7月を紹介する。
○天の川百人入れて手つだわせ
○七夕に無筆小よりをよって居る
○あく筆がやたらながれる八日過ぎ
 解説は以下のとおり。
 「七月七日は七夕です。五色の短冊に和歌などを書いて笹竹に付け、屋根の上に高く飾りました。第一句、自作の和歌のできない人は、百人一首の和歌を拝借して書きます。第二句、字の書けない人は、短冊に笹竹を結び付ける紙縒(こよ)りを作る役目です。第三句、七夕が終わると笹竹を川へ流します。」
 今までの3冊の原典である「川柳集成」(岩波文庫 全8冊 山澤英雄/千葉治校訂◆川柳集成 誹風柳多留(1−3)/初代川柳選句集(上下)/誹風柳多留全句索引/誹風柳多留拾遺(上下))が本棚にあるが、積読である。


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○よしや深山の伏屋じゃとても わたしや自由が立つ煙
○よしやおまへの仰せじやとても 権利ない身に義務は無い
○よしやどんなに縛らんしても 解かざなるまい繻子の帯