第54回徳島県母親大会参加、「可視化とえん罪事件」・守大助で訴え

 昨日(7月6日)は第54回徳島県母親大会が徳島市のとくぎんトモニプラザであったので参加した。午前中は分科会。私は第6分科会の「可視化とえん罪事件」に参加した。堀金弁護士が、裁判の可視化について現状と問題点などを分かりやすく説明してくれて、その後みなで討議した。えん罪は府川事件や・名張毒ぶどう酒事件袴田事件などが有名であるが、チカン事件などでも多く冤罪があるようだ。徳島県では徳島ラジオ商殺人事件が有名である。この事件は1953年に徳島県徳島市で発生した強盗殺人事件。犯人とされた冨士茂子さんにに対し刑の確定後に再審によって無罪が言い渡されたえん罪事件である。日本国民救援会徳島県本部は、いろいろな人の支援を受けて、このえん罪事件に取り組んだ。しかしながら無罪判決によって名誉回復されたのは彼女の死後のことである。
 当初犯人とされた富士茂子さんは、穏やかな顔立ちの小柄な優しげな女性であった。ネットで調べてみると、事件の年譜は以下の通りであった。長い長い、姉妹・甥までも含めた闘いであった。

 1953.11. 5---Sさん刺殺される
 1954. 8.13---富士茂子さん殺人容疑で逮捕される
9. 2---殺人罪で起訴
1956. 4.18---第一審判決(徳島地裁)・・・ 懲役13年
1957.12.21---控訴審判決(高松高裁)・・・ 控訴棄却
1958. 5.10---上告取り下げ
1959. 3.20---第1次再審請求 ==> 棄却
  11. 9---第2次再審請求 ==> 棄却
1962.10.23---第3次再審請求 ==> 棄却
1966.11.30---仮出獄
1968.10.14---第4次再審請求 ==> 棄却
1978. 1.31---第5次再審請求
1979.11. 8---姉妹弟が再審継承申請
11.15---再審継承許可となり「第6次再審請求」に移行
(同日夜)富士茂子さん死去
1980.12.13---再審開始決定(徳島地裁
1983. 3.12---検察側の即時抗告を棄却(高松高裁)
1985. 7. 9---再審判決(徳島地裁) ・・・ 無罪
 
 この事件でいくつか印象に残っていることがあるが、その一番は富士茂子さんの亡くなった日のことである。当時、私は富士さんが入院していた徳島健生病院に事務職で勤務していた。その日私は事務当直に当たっていたと思う。病院の食堂で記者会見があり、多くの新聞・テレビが取材に来て、主治医に死因などを聞いていた。その内の一人の新聞記者が、突然食堂の机に土足で踏みあがり写真を撮り始めた。「エッ、それは無いだろう」と感じた。富士茂子さんの死をも冒涜する取材態度だと私には映った。その後、その記者は新聞社を辞めて、県議に転身した。今でもしているが、こういう県議は身の処し方が適当で、話をしても横柄で信頼が置けない。


 午後からは全体会があった。全体会ではいくつかの報告・訴えがあり、私も守大助さんを支援する徳島の会を代表して、支援の訴えを行った。以下は、その内容。


 徳島県母親大会にご参加の皆さん、日ごろは、守大助さんと守大助さんを支援する徳島の会にたいし、温かいご支援をいただきありがとうございます。
 守大助さん(当時29歳)は、勤務していた北陵クリニック(仙台市)において、患者の点滴に筋弛緩剤を混入したとして、2001年1月6日に逮捕されました。その後1人殺人、4人殺人未遂で起訴されました。
 しかし守さんには何の動機もなく、また患者さんの急変は筋弛緩剤の薬理効果とは矛盾しており、殺したとされる患者さんについては、担当医師は心筋梗塞と診断しているのです。点滴ボトルから筋弛緩剤が出たとする大阪府警科学捜査研究所の「土橋鑑定」では、血液などの試料を全量消費・廃棄して再鑑定をできなくしています。
それにもかかわらず、2008年3月10日の最高裁無期懲役が確定し、不当にも千葉刑務所に服役させられています。守大助さんは、仙台地裁に再審請求を行っていましたが、今年3月25日に再審請求が却下され、仙台高裁に即時抗告の申し立てを行いました。

 守さんは、以下の3点で仙台地裁に対し彼の無実を訴えてきました
1.担当医は死因を特定していた
警察は急変患者が続いた仙台北陵クリニックで、夜勤が多かった守さんを犯人と決めつけて捜査を開始。カルテも調べず、「筋弛緩剤」混入による殺人事件と大々的に報道して「事件」が作られ、マスコミ報道で前代未聞の凶悪犯人を作り出したのです。
さらに、警察は守さんの同僚に『守の悪い事だけ話すよう』強要し、調書の内容が違うと言っても訂正を拒否して、嘘の調書が作られました。
2.患者の急変は筋弛緩剤の薬効と矛盾
逮捕容疑となったA子さんの急変の症状は、筋弛緩剤の薬効とは全く相反するもので、急性脳症の一種である「ミトコンドリア病」の症状でした(池田正行教授意見書)。約1,000人の臨床医師アンケートでも、筋弛緩剤の作用と回答した医師はいませんでした。
3.大阪科捜研鑑定は誤り
鑑定で検出されたとするm/z258なる成分は、筋弛緩剤の主成分であるベクロニウムではないのです(志田保夫教授意見書)。この鑑定の質量分析を認める学者はいません。「全量消費した」という証言もウソでした。データも提出されておらず、ねつ造の疑いが濃厚です。

 しかし仙台地裁はこういう事実をきちんと検証もせず、守大助さんの再審請求を棄却しました。仙台地裁の結論は、まったく納得のいくものではなく、無実の守さんの人権をはなはだしく侵害するものです。
 守大助さんを一日も早く救い出すために、今日ご参加の皆さんに4点のお願いを申しあげます。
一つ目は、私たちが全国の多くの守さんを支援する会と共同して取り組んでいる署名、仙台高裁に対し「仙台北陵クリニック・筋弛緩剤冤罪事件の再審開始決定を求める要請書」へのご協力のお願いです。
二つ目は、まだ私たちの会にご入会していただいていない方に、今日の大会の記念にぜひとも会へのご入会をお願いします。
三つ目は、会の運営は財政的にも成り立ってこそ続けることができます。本日は販売コーナーも設けていますので、ぜひとも財政的なご支援もお願いいたします。
四つ目は、守大助さんのお母さん守裕子さんが、今月国連自由権規約委員会審査傍聴のためにジュネーブに行くことになりました。ここでお母さんは守大助さんのえん罪事件が、国際的な人権規約に対する重大な違反として国連が日本政府に対して、具体的な勧告を行うよう訴えてきます。派遣にはたくさんのお金がかかります。守大助のコーナーで募金のお願いをします。どうぞ皆さんのご協力をお願いします。


大会で訴える私 

 記念講演はリラン・バクレーさんによる講演「米軍への『思いやり予算』ってなあに?」。米国人の彼の痛烈な米国と日本への批判である。高校生のときに初めて来た日本の印象がどんどん悪くなってきている。皆保険制度の崩壊やTPPなどアメリカ流になってきている日本を、守っていくことの重要性を知らされた講演であった。大会終了後には、会場から徳島駅まで「母親行進」があった。今朝の徳島新聞には、写真入りで大会の様子が紹介されている。
 今年からラキョウサレン徳島支部徳島県母親大会実行委員会に参加している。きょうされんの書籍の販売コーナーも設けられたので、手伝った。29冊が売れた。




我が家の郷土玩具  広島  三次土人形 犬


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○口に謡ふて調子にのせて 人を動かす歌が歌
○歌の力にや鬼神も泣くと 流石貫之よく言ふた
○和歌はみやびよ俳句は味よ わけて俚謡は心意気