早い、友人の死と「北澤楽天全集」

 7月10日(木)私たち夫婦にとって長い友人であった、Mさんが亡くなった。享年55歳。彼女が結婚して吉野町に来て付き合いが始まり、29年になる。一所懸命クリーニング店の仕事をし、二人の娘を育てた。
 彼女の体調が悪くなって、私の連れ合いと病院を受診したのが2月22日。すぐに病状が重大であることが分かった。セカンドオピニオンを求めて、明石の専門病院に車で行ったときには、私も運転手役を務めた。しかし、徳島での診断に誤りは無く、正月に我が家でみんなと楽しく新年のお祝いをしたときと比べて、あっという間の死であった。病院を退院して自宅で近医の治療を受けていたので、しばしばお見舞いに行った。彼女の夫も二人の娘も、必死に看病したが、残念なことであった。
 11日にはお通夜、12日にはお葬式と、あわただしく過ぎてこんなにも早くいなくなるとは信じられないことであった。今日は知り合いと4人で、彼女の位牌の前でお線香を上げてきた。

 昨日(13日)は連れ合いの祖父母・叔父の50年回忌が、義弟の家であったので参加した。親戚縁者20名近くが集まった。祖父母や両親の思い出話をしたり、近況を報告しあったりで、こういうものは50年も経ているので、楽しい一面もある。

 先週、東京に行った際購入したのが北澤楽天全集の第5巻「世界外交戦争漫画集」であった。先に紹介した古書店で購入したもの。本来は箱入りであったのだろう。B5版144Pで500円(予約会費金1円50銭と奥付にはある)。ページを広げるとすぐにばらばらになりそうな本である。1930年(昭和5年)発行で、収録されている作品は明治末年から大正はじめのころのものであった。日露戦争・第1次世界大戦などが題材である。何年か前か忘れたが、さいたま市にある漫画会館に行った。会議のついでに立ち寄ったと思う。
 ホームページの紹介は下記の通り。
 日本近代漫画の先駆者「北沢楽天」の偉業を記念し、北沢楽天の旧宅を改築した会館。政治風刺から家庭漫画まで多彩な楽天の資料を始め広く漫画文化の普及を目指した全国でもめずらしい公立の漫画専門館です。
 北澤楽天は、明治9年に大宮宿(現在の大宮区)で生まれ、本名は保次(やすじ)と言います。外国人向けの英字新聞社で西洋漫画の手法を学び、「時事漫画」や日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊し、明治から昭和にわたり、庶民の生活や世相をユーモラスな漫画で表現し、日本の職業漫画家第1号として活躍しました。〔生1876〜没1955〕

 我が家にある北澤楽天関係のものは、行ったときに購入した図録と清水勲編の「漫画雑誌博物館」(国書刊行会)全5冊のうちの第5巻「東京パック」、それに赤茶けて手で触れて開くとすぐにパラパラと崩れてしまいそうな雑誌「時事漫画」が数冊。


 「世界外交戦争漫画集」P34

 字が読みにくいので直すと、「事実顛倒の報告」旅順で日本の閉塞船が自爆すると露国司令官は露都に報告していわく「日本軍艦数隻を砲撃しついにこれを撃沈せり」と報じてみたりまた、「某地の戦いにおいて我が軍の負傷一人なるに対し敵の負傷数万」と見ぬを幸い大与太をとばすが、これらの報告がみんな事実顛倒のイカサマである。証拠はこの絵を逆さまにして見れば、すぐに真相が判明する。
 70年ほど前、どこかの国もこういう報告を常套手段にしてきたようだ。こんなことが再度起こりそうな日本の昨今である。


 「世界外交戦争漫画集」P63

 「日英一体となる」では、絵を正しく前に置き手の親指を鼻筋に当てこの絵に接近して両眼を開いて見ると日英一体となって踊っているところとなります。



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○言葉やさしく姿ははでに かくな心を丸くよめ
○遊びましよぞ小歌の園に 睦みむつみて末永く
○何も思わず何にもせずに のんきなのんきな春が来た