槍ヶ岳ヨレヨレ登山

 しばらく、ブログが更新できなかった。
 7月18日(金)夜から、槍ヶ岳(3180m)登山に行っていたためである。
 健生山の会の槍ヶ岳登山には私たち夫婦を含め7名が参加。体力に合わせて3班が作られた。私たちは一番体力が無いので、W石会長の援助の下に、新穂高温泉〜槍平小屋(泊)〜槍ヶ岳山荘〜槍ヶ岳槍ヶ岳山荘(泊)〜槍平小屋〜新穂高温泉(泊)のコースに挑戦することになった。
 18日晩8時半に徳島を車で出発した。徹夜で走り(Tさんが一人で運転したが、その体力には感心してしまう)19日(土)早朝3時半には新穂高温泉に到着した。
 しばらく仮眠して、6時45分に3班に分かれて出発した。この日の私たちの目標は槍平小屋まで。W石会長の話によると健脚ならば(普通)その日のうちに槍ヶ岳山荘まで行くそうだ。安全を期して槍平小屋までとなった。出発してしばらくは曇りだった。天気予報では19日は曇り・雨、20日は曇り・雨・雷、21日は晴れ・曇りであった。雨が強くなったりして雨具を着ての山行は、私たちにとってはきついものであった。濡れた岩の道に何度も足をとられた。雪解け水のすばらしい沢をいくつか渡り、槍平小屋に着いたのが12時半であった。カッパや靴を干して服を替えて、雨に濡れた身体を温めるためにビールとウイスキーで乾杯した。ツアーで来ていた7人組と談笑。


眠気が覚めぬまま、出発。

 20日(日)は天気予報と違って、曇り。助かった。暑くもなく寒くもなく、登りやすい。6時15分に、疲労の取れない身体に鞭打って出発。前日の7人組とは何度も合い前後して登山。3080mの槍ヶ岳山荘に着いたのが11時15分。連れ合いは嬉しさのあまりビールを飲もうと言い出した。いやいや、目の前に槍ヶ岳が待っている。ということで、腹ごしらえをして荷物をすべておいて身軽にしてから挑戦した。まだ少し早かったため、頂上への行列はできていない。雲が消えて頂上が見えた12時に出発した。険しい岩場、ほぼ垂直のハシゴ、鎖などに体力を取られながらも12時半に無事登頂できた。以前、次女の連れ合いの援助を得て剣岳に登っているので、恐怖心は無かった。頂上で記念撮影。しばらく、四方を展望したが、素晴らしい光景であった。あたりがくまなく見えるのは精神的には最高であった。


飛騨乗越(槍ヶ岳山荘はもうすぐ)


W石会長のお陰で登頂、感謝。


21日、早朝の槍ヶ岳

 1時15分に槍ヶ岳山荘に戻って、厳しいコースを歩いているだろう他の2班を待ちながら、登ってきた槍ヶ岳を仰ぎ、山荘前のテーブルに座り生ビール・ウイスキーで乾杯。雲が晴れると、頂上を目指す登山者の行列、狭い頂上に満員の登山者が見られる。ヘリコプターも忙しく荷揚げをしている。ヘリコプターが来るたびに皆が撮影。美味しかったですね。


翌朝、全員集合。

 21日は6時20分に出発。健脚組みの4人は、大喰岳・中岳・南岳を経て新穂高温泉まで下りてくるという。私たちは登ってきて道を引き返すことになった。とは言え、3日間も歩いたのは4年前。70歳過ぎと思しき人が一人で何人も登ってきているが、私たちには体力は残っていない。何度も何度も前を行くW石会長が後ろを振り返って待ってくれるのだが、足には余裕は全く無い。後ろから見ると笑われるほどのヨレヨレ下山であった。2度も尻餅をついてしまった。ところが、若い3人組みが追い越してきたので道を譲ったら、先頭の男性が私たちの目の前で見事に顛倒。年寄りが倒れるのは当たり前である。
 新穂高温泉に着いたのが、3時35分。下りだけで9時間15分もかかってしまった。とにかく、無事で何よりであった。深山荘(しんざんそう 風呂も食事もよかったです)の温泉に浸かり汗を流した後、生ビールを飲みながら4人を待った。5時過ぎに着いたので、登山の成功を祝って乾杯した。


皆で宴会(連れ合いが撮影)。皆さんに感謝。

 22日(火)午後3時半に徳島にたどり着いた。すぐその足で、予約していた健生病院で高血圧外来を受診した。我が家に着いたのは6時過ぎであった。
 

どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○梅の蕾のほころび目から 出たか昨夜の粋な夢
○力強ても叶はぬものは 場所と勝負の恋の闇
○これ程淋しいものとは今年 はじめて骨身に沁みる秋