台風11号と「ゾルゲ事件:覆された神話」・きのこハウス

 先ほど、台風11号高知県安芸市に上陸したとテレビが報道した。昨晩から今朝にかけて、我が家も大雨と大風で雨戸が大きな音を立てて寝苦しい一晩であった。庭を見ると、辛夷の木が倒れ(自費出版した「孺子の牛」の32.石鎚山参照。次女夫婦と内子町で泊まった石畳の宿(2005年10月)で実をつけた辛夷の種を植えたもの)、鉢もたくさん倒れている。今、宮川内谷川の氾濫の危険が防災電話で放送されている。私が住む吉野町の一部にも避難勧告が出されている。メダカの水槽も水があふれている。徳島では、これからもっと風雨が強くなる。

 7日にはきのこハウスの研修で、和歌山県の一麦会の施設を見学した。(http://www7.ocn.ne.jp/~ichibaku/)参加者は理事長・理事・職員の総勢7名。とにかく、幅広い活動を展開していて、子どもから高齢者までが対象になっている。利用者が主人公を貫いて運営されていると感じた。
 けいじん舎(就労継続A型) は、 コロッケ、肉じゃが、煮豆、おにぎりなど、冷凍食品を真空調理でおいしく栄養が満点に。
 はぐるま共同作業所 和の杜(就労継続B型) 【食品製造】は、納豆、せんべい、ゼリー、粉緑茶などの製造販売をし、大手通販でも扱われている。
 産直の店もあって、地域の農家からの商品の提供と自家製の食品などが販売されている。この日、私が買ったのは、刺身こんにゃく・ゼリー・せんべい・ポップコーン。
 昼食は、山崎邸 創 hajime caféで摂った。ホームページの紹介は以下の通り。
 創HAJIMEはHeArt JoIn MovE(心をつなげて動き出す)という想いがつまってつくられた。HAJIME Café Projectは、様々な社会との関わりから少しの時間をおき、社会という重力から無重力状態になった若者たちが、心の解き放ちを行い再び心と心をつなげて動き出す、そんな願いがつまっているカフェ。カフェで出される珈琲は、彼らが一粒ひと粒ハンドピッキングを行い厳選された豆だけを使用し、自家焙煎した味わい深い一杯です。

 大正時代、粉河の紡織家が建てた350坪の家を3,000万円かけて改装した(勿論、昔のままで)もの。食事もコーヒーもケーキも美味しかった。隣には土蔵を改装した工房があり、若い夫婦が利用者と一緒に図画耕作所で製作に励んでいた。


 折角なので、しんぶん赤旗に掲載された記事を紹介する。 2014年6月18日(水曜日)掲載
    
 障害のある人たちが働く 古民家に「図画耕作所」
 アートと農 仕事に

 「誇りを持って働ける場所に」−。障害のある人たちがアート(芸術)などを通して地域とのつながりをつくることをめざす共同作業所が18日、和歌山県内に新たに開所します。
 JR和歌山線粉河駅(紀の川市)そばにたたずむ築年数約100年の古民家「山崎邸」。障害のある人が働く「ポングリ図画耕作所」(社会福祉法人一麦会・麦の郷)が、この一角にオープンします。
 「絵を描くことやものづくり、音楽が好きという人や、他の作業所で長続きしなかった人たちが来る予定です。ここで働くことで自信を取り戻せたら」と話すのは、職員の奥野亮平さん(33)。
 「アートを中心に活動する予定だけど、気が向けば、敷地内の畑で土と触れ合えるようにしたい」と作業所の名前に込めた思いを語ります。
 ‶地域にとけ込める場”
 母屋はカフェ
 奥野さんは、今年11月の「赤旗まつり」にも出演するロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオンのライブに使う背景画を作製するなどの活動をしています。
 山崎邸の敷地面積は約1600平方㍍。近代和風建築の2階建て母屋と手入れの行き届いた庭があります。門をくぐり、すぐ脇にある蔵が「ポングリ図画耕作所」です。母屋は麦の郷が運営するカフェ創(はじめ)。精神障害のある人、ひきこもり経験のある人らが働いています。
「ポングリ図画耕作所」の開所を控え、古くなった鍋のふたや廃材を使ったチンドン太鼓づくりと木製の皿づくりのワークショップ(体験講座)を2回にわたって開きました。
  頬っぺたの星
 参加した女性は、2日間のワークショップでチンドン太鼓を完成させました。これまでは、美術の授業でも途中でつらくなり作品を完成させたことがなく、女性の母親は驚き、喜んだといいます。引っ込み思案だった女性が、チンドン太鼓の演奏会では仲間の前で歌を披露。奥野さんは「それぞれのペースで無理なく作業をすすめる中で、自信がついたのだと思います」と目を細めます。
 一般就労の経験がある男性は就職先でいじめに遭い、引きこもりに。参加当初は、男性の緊張が痛いほど伝わってきたと奥野さんは振り返ります。
 耐震工事を済ませたカフェ創の再オープン時、仮装してチンドン太鼓をたたきながら町中を練り歩きました。仮装をためらっていた男性は、頬に星を描きシルクハットをかぶって参加。「懐かしい」という声が上がるなど地域住民の喜びの反応を受け、男性は終始、笑顔を絶やしませんでした。
 「頬っぺたの星を消さずに帰宅したんです。彼にとっては、勲章のようなものだったのでしょう」と奥野さん。
 麦の郷の野中康寛事務局次長は「障害のある人が地域で働く中で、誇りを回復できることをめざして私たちは活動している」と話します。奥野さんは「障害のある人たちがアートを仕事に、地域にとけ込める作業所をめざしたい」と願っています。(岩井亜紀)

 私たちが訪問したこの日は、地域の人たちと一緒になって第20回の夏祭りが行われると言うことで、朝から準備が行われていた。成功したのだろうか。


 表紙カバーの裏には以下の通りかかれている。 「二〇世紀最大のスパイ事件」ともいわれるゾルゲ事件。そのイメージは戦後、東西冷戦下における情報戦の文脈の中で形作られてきた。それが過去のものになった今、戦前の特高警察、占領期の米軍ウィロビー報告によって定説化した「伊藤律・発覚端緒説」をはじめ、「大きな物語」の構図が様々な形で綻びを見せている。ゾルゲ事件を二重の意味での情報戦として再考し、その真相を探る。
 私の知るゾルゲ事件は、本書でも再三取り上げられている尾崎秀樹の「生きているユダ」(角川書店)・「ゾルゲ事件」(中央公論社)と松本清張の小説「真昼の暗黒」。読んだのは40年近くも前になる。そこでは、ゾルゲや尾崎秀実を権力に売り渡したスパイが伊藤律としていた。しかし、実際はそうではなかった。
 伊藤律は27年間中国での監獄生活を強いられ、1980年9月に日本に帰国した。彼の帰国は、新聞・テレビなどで大々的に報道された。尾崎秀樹は1999年、伊藤は1989年に没した。伊藤は、生前「スパイの汚名」を晴らすことができなかった。2013年にようやくその汚名を晴らすことができた。本書75ページに伊藤律のスパイ説修正を報じた「東京新聞」の2013年5月28日付夕刊の記事がある。記者会見している1人は伊藤の次男。彼は私も嘗て勤めていた医療機関の上部団体で働いていた。伊藤律の帰国報道がされたとき、彼はどのような心境なのだろうかと思ったことがある。
 
 世界の情報戦が今でも続いており、それがますます高度化・複雑化している。著者はゾルゲ事件から学ぶものとして、「現代の情報戦が学びうるものがあるとすれば、それは知る権利、言論・思想の自由と情報公開性の必要性、公文書の作成・保管と歴史資料の収集・保全の重要性だろう。」としている。そして、あとがきで「法制度での厳罰や言論統制で情報をしばるような国家は、支配にとって都合よい情報ばかりが政策決定者に集まり、客観的な情勢分析ができなくなり、結局は道を誤る閉鎖国家になる。積極的に情報を発信・開示し、民主主義的討論に委ね、国民的合意を得て進める道こそが、情報戦時代の王道である。」としている。安倍政権がとっている、国家機密法や集団的自衛権などは、全く「閉鎖国家」への道で、国民には百害あって一利なし」であろう。



我が家の郷土玩具  花巻土人形  巳打出



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○辛棒する気を邪魔する街の 灯りにまだあるのこり髪
○おくれ咲きでも見染める蝶が あって大輪いい牡丹
○夢になりとも逢わせてたもれ 夢に浮名は立ちやしまい