「魯迅の愛した内山書店」と大麻山

 昨日は、久しぶりに連れ合いと大麻山に行ってきた。前回登ったのは9月21日だから本当に久しぶりであった。お互いに忙しいので、日程が合わない。今回は頂上まで何とかたどり着いた。会う知り合いごとに、久しぶりですねと声をかけられる。
 午後からは中国語。文章の間違いを直す宿題が出ていた。それなりに出来ているのではないかと思ったら、これも大間違い。ほとんどが訂正させられた。
 6日には、孺子の牛其の三「ブログで中国」の校正を星印刷に持参した。三校はするつもりがなかったのだが、やはりすることにした。少しでもましな本にしようということだ。


魯迅の愛した内山書店

魯迅の愛した内山書店

 本書は、週刊「京都民報」に掲載されていたものに、加筆・修正を加えたものである。副題に「上海雁ヶ音茶館をめぐる国際連帯の物語」とあった。内山書店は1917年(大正6年)から1947年(昭和22年)まで上海にあり、日中の文化人・作家の交流の場になった。今、東京・神田にある内山書店は、弟の内山嘉吉が1935年(昭和10年)に開いたものである。今でも日中の梯として、大きな役割を果たしている(http://www.uchiyama-shoten.co.jp/)。雁ヶ音は内山書店で客に出していたお茶の銘柄。妻の美喜の実家は、宇治であった。そこで仕入れたお茶を振舞ったのだ。これについても本書で書かれている。

 推薦文に上海魯迅記念館館長の王錫栄は、以下の通り書いている。
 内山完造と魯迅、異なる国と環境、年齢も四歳の差があったにもかかわらず、なぜ肝胆相照らす仲になったのだろうか。大きく三つの理由が考えられる。まず第一は、お互いに文化交流の流れに乗って結びついたこと。第二は、両国の人々の運命ひいては人類の進歩、世界平和に対する切実な願いがあったこと。第三は、共通している人格の追求が二人を近づかせたこと。
 上海の内山書店の跡地は、現在は国工商銀行の支店が建てられている。四川北路と甜愛路・山陰路との交差点にあり、ここの二階に内山書店資料室があって、誰でも観覧することが可能だが私は入ったことがない。

 2009年5月に、岡山県井原市で開かれた、内山完造逝去50周年記念事業に魯迅の息子の周海嬰がきて話しをしたことがあり、私も参加した。体調を崩していた周海嬰の話し声は力弱かったが、それでも子どもから見た魯迅の人となりを少しでも理解することが出来た。詳細は、2009年5月18日のブログに書いた。



我が家の郷土玩具  福島・三春張子  腰高虎・白


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○野暮な世間へまだ日は高い 月になる間の青すだれ
○夢ならさめずにほしいと願う 首尾を拾った夜の月
○酔う気になれないかかわりごとを 白く消してく春の雪