映画「蜩ノ記」と「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」

 昨日は、連れ合いと映画「蜩ノ記」を観に行ってきた。
 蜩ノ記の公式サイトには、以下のように書かれている。
 「主人公は、ある罪で10年後の夏に切腹を命じられ、不条理な運命にある戸田秋谷。彼は、いよいよ3年後に迫った切腹の日までに藩史の編纂を仕上げるよう命じられ、その作業の過程で、藩の重大な秘密を握っていた。そして、彼の監視役として派遣される壇野庄三郎。物語は秋谷に不満を抱いていた庄三郎が、切腹に追い込まれた事件の真相を知り、彼の人としての気高い生き方に触れて成長する師弟愛ドラマ、秋谷とその妻・織江との、温かい夫婦愛や家族愛、庄三郎と秋谷の娘・薫との初々しい恋、そして人間同士の崇高な絆を描きます。」
 成る程、映画を見ているとそうではあるが、何か釈然としないものを感じた。
 大殿が正室を最初は可愛がって、その正室の子を次期の殿にするために、側室とその子供を殺そうと家老たちがした。正室の真の父親は藩の財政も左右して、農民の生活を苦しめている米問屋というのだ。この正室、旗本の家に養子になって、大殿の側女になった。大殿はその娘に魅入られて正室に取り立て、藩政がゆがめられた。家老は裏で米問屋とつながり藩政の権力を握っていた。無茶なことをやってきているが、すべては藩政のためと言うわけだ。側室は、秋谷の家で働いていた。大殿は家老や米問屋のたくらみを知ったが、黙認していた。そして、側室の命を助けようとして秋谷と側室が密通したとして側室は出家、秋谷は10年後の切腹を命じられ藩史の編纂に従事した。家老は最後のほうの場面で秋谷に一発殴られて、今までの藩政のやり方を変えようとするのだが、果たしてそんなに甘いものではないだろう。このあたり、「史記」を書いた司馬遷をモデルにしているのだろうか。
 司馬遷は「死」ではなく「宮刑」に処せられて歴史を編纂した。


きゅうけい【宮刑 】は、世界大百科事典 第2版の解説によると、以下の通り。
 中国で行われた身体に棄損を与える刑罰(肉刑)の一つ。男性は男根を切断され,女性は宮中に生涯幽閉される。ただ女性にも,腹部に打撃を加えて生殖器官を損傷するとの説もある。腐った樹木は果実を結ばないということから,生殖器を除去するこの刑を腐刑ともいう。古くは殷代から施行されていたとされ,《書経》の編名の一つで周の穆王(ぼくおう)時代(前10世紀ごろ)の刑書といわれる〈呂刑〉には,4種の肉刑の中に含まれている。


 大殿の不祥事を被り秋谷は切腹になるのだが、それを受忍したのは、側室が秋谷の家で奉公していたときの思いと、大殿の懇願によって藩を守ることとであった。しかし、藩はその後不祥事が江戸幕府の知るところとなり、改易となるのだ。
 秋谷と壇野の苦労・努力は全く水の泡、無駄骨に終わってしまった。

 この映画を観て、こんな言葉を思い出した。「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」
《「古文孝経」序から》主君に徳がなく主君としての道を尽くさなくても、臣下は臣下としての道を守って忠節を尽くさなければならない。
 
 この映画は師弟愛・家族愛に隠れて、今の安倍内閣(勿論君主ではないが)は「君君たらず」の典型で、そんな安倍内閣でも国民は我慢して支えようではないか言っているようなものだ。道徳教育の導入・教科化もその延長線上にあると、私は考える。危ない、危ない。



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どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○白くふくらむ雀の腹へ 遠く向き合う朝の風
○触れたい話に触れたくなくて 苺ミルクの舌ざわり
○今更どうなるものでもなくて 春の灯に置く耳飾り