徳島県難病相談支援センターに関する請願  と「文壇資料 馬込文学地図」

 昨日は徳島県議会に対し、下記の請願をとくしま難病支援ネットワークとして行った。近藤会長・近藤副会長・藤井事務局長と私が参加した。徳島県は難病相談支援センターの機能が他都道府県と比べて非常に立ち遅れている。少しでも他都道府県に追いついてもらいたいものである。
 自民党・県民会議の喜多議員にお世話になり、全会派を回ったが共産党だけは残念ながら不在であった。請願行動の少し前、10時25分頃に徳島県南部で震度5強の地震があり、予定された委員会は開催しなくなったとの事だった。県の職員が地震に対する処理などで、委員会どころでは無くなったということであった。共産党の議員が不在であったのもそのためのものだったようである。

  徳島県難病相談支援センターに関する請願

【請願理由】
 難病と診断されたとき、人は驚きとともに深い不安に襲われ途方に暮れてしまいます。症状はどうなっていくのか、治療方法はあるのか、どこの病院に行けばよいのか、専門医はいるのか、医療費が大変、福祉サービスは受けられるのか、仕事は続けてもよいのか等、日常生活のあらゆることについての相談ができる場所を探しもとめます。
 現在、徳島県難病相談支援センターは徳島県庁健康増進課内にあり、健康増進課の職員の方が通常の業務をこなしながら相談を受けていますが、個人相談ができる相談室はなく、落ち着いて相談ができるような状況ではありません。また県民の多くは、県庁内に難病相談支援センターがあることを知らず、実際に機能しているとは言い難い現状です。
 本来、難病相談支援センターとは、地域で生活する患者や家族の日常生活における相談支援及び就労支援を行い、地域交流活動の促進等に努める拠点施設となるものです。専門相談員が配置され、訪問しやすい場所にあることが、一生涯難病と付き合っていかねばならない患者や家族にとっては必要です。
 国会では、平成26年5月23日付にて「難病の患者に対する医療等に関する法律」と「児童福祉法の一部を改正する法律」の両方が可決成立され、27年1月1日より施行されています。それぞれの医療費助成の対象疾病数が拡大されることになり、指定難病対象疾患は旧来の56疾病から約300疾病に、また小児の難病である「小児慢性特定疾病」は旧来の594疾病から704疾病に拡大されました。
 これに伴って、徳島県における難病患者数は旧来の6,074人(56疾病患者数2014/3/31現在)から約12,000人(300疾病)程度に増えると思われ、また小児慢性特定疾患数は、628人(2014/3/31現在)から900人(704疾病)程度に増えると予想されています。今後、相談件数も大幅に増えることが予想され、現在の相談体制ではとても無理があると思われます。
 徳島県の難病相談支援センターが実効あるものとなれば、県民のだれかが、突然に難病だと診断されても、いつでも相談に立ち寄れることができ、患者や家族の不安や悩みの解消をはかることができます。また、難病に特化した様々なニーズに対応したきめ細かな相談支援を受けることで、症状の緩和や病気の悪化を遅らせることができ、ひいては医療費軽減にもつながります。
 そこで、徳島県難病相談支援センターを実効あるセンターにしてください。

【請願事項】
1 難病相談支援センターの専門相談員の充実と機能強化を図ってください。
2 設置にあたっては既存の患者会との連携強化を図ってください。


 1976年10月に出版されている本書を11月に購入している。ところが今まで積読であった。私が生まれたのが東京都大田区馬込東1丁目1387番地(当時の住所表示)。「文壇資料 馬込文学地図」の地図の中にある。小学校の友人のM君はこの本にも登場する室生犀星がかつて住んだ家を借りていた。父親が文学好きな人であったためのようだ。
 本ではこう紹介している。
「犀星は家を建てるため、早速土地さがしをはじめ、馬込東3丁目763の蕪畑を150坪借りた。うしろは禅寺万福寺、前は藪地であった。こちらは字名を久保といった。ここなら土地は高いし、空気も澄み、子どもたちの健康にはもってこいの場所に思えた。近くに小林古径のアトリエがあり、放し飼いにした孔雀がクウクウ鳴くのが、のどかな田園の気分を深めていた。
 わがやどはまごめのさとのやぶなかに ともしびともれさぶしとおもはず
 とよんだ。」
 そう言えば、孔雀を見た記憶があった。  
 宇野千代の甥も私と同年代で馬込第二小学校に通っていた。
http://chukobunkop.hatenablog.com/entry/2014/06/25/162225
 馬込を案内するボランティア活動もあるようだ。本にはもう40年も前の写真があるので、現在とは全く違った景色になっているだろうが、私には懐かしく見覚えのある景色である。現在の地図を調べてみたら、60年以上も前に通ったサムエル幼稚園の名前があった。感服!!貧乏公務員で子供5人の家であったが、双子の私たちがどうして幼稚園に通っていたのかは、今は不明である。




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◯若くはないわとかくさぬ小じわ くどかれ上手で盛る店
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