大満足、屋久島・宮之浦岳・縄文杉

 10日(土)から13日(火)まで、健生の会で屋久島に行ってきた。一番の目的は宮之浦岳(1936m)に登ることであった。総勢の平均年齢は65.5歳。朝5時30分に家を出て、徳島から7時発の海部観光バス(なかなか座席シートが良い)で伊丹空港へ。鹿児島空港で乗り継いで、屋久島に着いたのは13時20分。

 この日の宿は空港前の「縄文の宿 まんてん」であった。翌日11日の登山に合わせて、食料などを購入。その後は、温泉に入り6時の夕食まで少し時間があったので、登山の成功を願ってビールで乾杯。夕食はトビウオの唐揚げなど、地元の美味しい食材を満喫した。焼酎は勿論地元の三岳。部屋に帰ってからは、徳島から持参した日本酒とワインで再度翌日の無事を記念した。
 11日は愈々登山。4時過ぎに起床して、5時5分にジャンボタクシーで荒川登山口まで直行したが、運転が荒くて酔ってしまった。運転手によるものか?登山口に着くともう一杯の人であった。この頃の登山は中高年者が多いのだが、ここは若者が多い。それも女性が。ガイドを付けているグループが大半のようであった。
 6時5分に出発した。初めはゆっくりと体調を整えながら登った。小杉谷集落跡を経て、三代杉・翁杉などを見、休憩を入れながらウイルソン株に着いたのが9時53分であった。ここは大変な人気である。株の中の30畳ほどもある空洞から空を見上げると、ハートの形に見えるところがある。私達一行にはもうあまり興味が無いが、若い女性には大人気である。その後大王杉・夫婦杉を経て、縄文杉に着いたのが11時30分。ここも大変な人だかりであった。確かに縄文杉には圧倒的な存在感がある。

 縄文杉で長い休憩を取り、この日の宿泊予定の新高塚小屋を目指した。この後は、若い人たちは来ない。殆どの人がここから折り返して下山する。小屋に着いたのが午後1時。休憩も入れて7時間かかった。予定通りであった。小屋は避難小屋なので電気は通じていない。トイレは幸いにある。翌朝まですることがないので、早速、この日の登山の無事を祝って食事とお酒。後から後から、登山者が小屋に入ってくる。40名の小屋が満杯であった。入口の靴置きのそばにも寝る人がいる。外ではテントが10数張り。総じて皆さん若い。一番若いグループは、大分県竹田高校山岳部であった。5時を過ぎると暗くなってきて、もうすることがない。こんなに早く寝たことがないが仕方がない。外ではまだ元気に喋ったり呑んだりしているグループもある。



 翌朝は4時に目が覚め準備を整えて、食事も軽くとって5時23分に小屋を出発した。2度小休止をとって、頂上(1936m)に着いたのが8時半であった。頂上付近近づくに連れて、曇の天気が快晴になってきた。四囲の山々や海が見える。絶好の天気であった。ここでも記念撮影。後はひたすらゴールの淀川登山口を目指すだけ。途中、花之江河の湿原には鹿がやってきて、草を食んでいた。近づいても全く逃げない。30分ほど食事を取ったり鹿を見たりして楽しんだ。ゴールに着いたのは2時23分であった。頼んでいたジャンボタクシーが迎えに来てくれた。この日は、前日の運転手とは違い、途中の山々の説明をしてくれたり、安く買い物できる店を紹介してくれたりであった。
 宮之浦港そばの宿「シーサイドホテル屋久島」に着いたのが4時半過ぎであった。早速、温泉に入って疲れをとった。夕食は6時からで首折れ鯖の刺身など、美味しいものばかりであった。飲み物は、まずは生ビールで乾杯。そののち、地元でしか販売していない芋焼酎「水ノ森」を楽しんだ。
 13日はおみやげの買い物(手ぬぐいを5本も買ってしまった)をして、12時15分発の伊丹空港行に乗って、徳島についたのが8時であった。我が家には9時20分到着。満足のいった山行であった。