B型肝炎訴訟大阪期日と母子感染ブロックの失敗

 昨日(20日)は大阪地裁でB型肝炎訴訟があったので傍聴に参加した。今回は、役員らのメールでの参加呼びかけがあり、傍聴席が一杯になった。やはり、こういう裁判は「運動」という性格が強く、社会的にもアピールが必要なので、傍聴席が満杯というのは気持ちの良いものである。
 今回の意見陳述は2名。60歳少し前の慢性肝炎の男性と、32歳の慢性肝炎の女性であった。日本で、予防接種法が施行され集団予防接種が義務付けられたのが1948年で、義務化が廃止されたのが1988年であった。このことによってB型肝炎が国民病と言われるまでに蔓延した。彼女の場合、1983年生まれになる。そうすると集団予防接種を受けたのが1988年頃になる。いわば、義務化の最終年度によってB型肝炎ウイルスをうつされたのではないだろうか。もうこの時期には、予防接種も注射器の使い回しをしない自治体もだいぶ増えてきているので、なんともやりきれない思いになる。
 それだけではない。彼女には4歳と1歳の娘がいる。二人とも出産後にB型肝炎の感染を防ぐワクチンの接種を行ったのだが、長女にはワクチンの効果があったが、次女は母子感染ブロックが成功せずにB型肝炎ウイルスに感染してしまった。B型肝炎ウイルスはワクチンを投与しても、5%程度に効果がないとされている。
 次女について彼女は、以下のように意見陳述をしている。
 「しかし、次女は、出産後、ワクチン接種をしたにも関わらず、B型肝炎に持続感染していることが判明しました。ワクチン接種をしていても、母親の検査値によって数パーセントの確率で母子感染してしまうケースがあるそうです。AST・ALT値が400〜600の状態が続き、毎月採血やワクチンの大量接種が始まりました。自分のこと以上に、娘が苦しんでいる姿を目にするのはとても辛いことでした。乳児は、採血時、動いてしまうと危険であるため、ネットで抑えられて採血をします。普通の乳児の予防接種に加えて、月に1回の採血、2週間おきのB型肝炎のワクチン接種のために毎週のように針を刺されて泣きじゃくる娘の姿を見て、私は、ごめんね、ごめんねと言いながら、胸が張り裂けそうな思いでした。」
 全く、厚労省官僚の無為無策が、今でも無辜の人々を苦しめていることが理解される胸に迫る陳述であった。10名ほど国側の役人も裁判席に来ていたが、それぞれの人の感想を聞きたい思いであった。
 今回の裁判での和解は被害者数で130名、原告者数で148名であった。裁判後、会場を移して報告集会と原告団総会があった。ここでは、10月9日に紹介した「B型肝炎 なぜここまで拡がったのか」岩波ブックレットの著者の1人である久野華代さん(毎日新聞社・記者)が、本についてとB型肝炎訴訟裁判取材にまつわる話をしてくれた。最近、B型肝炎訴訟に加わった方には、B型肝炎訴訟裁判の先輩たちがどのような思いで闘ってきたかが理解される内容であった。
 梅田から5時半発の高速バスに乗って帰ったのだが、走る道路の選択が不適切だったのと、高速道路が一部工事中で、我が家に着いたのは何時もより30分も遅かった。疲れました。

台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件の守大助さんをご支援ください!
B型肝炎訴訟をお考えの方は、全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!

鶴彬の川柳歌集「手と足をもいだ丸太にしてかえし」
◯肺を病む女工故郷へ死にに来る
◯地の滅ぶ今宵地上に恋ぞ充つ
◯土深く潜るみみずとなりに鳧(けり)
◯海に充つ野に満つ街にみつ鎖
◯生き難き世紀の闇に散る火花