映画「母と暮らせば」と「桂米朝 私の履歴書」

 昨日は、連れ合いと映画「母と暮らせば」http://hahatokuraseba.jp/を観に行った。作家の井上ひさしが「父と暮らせば」の続編として長崎を舞台に作りたいと思っていた映画を、山田洋次監督が引き継いで作ったといわれる映画である。原爆が、いかに家族・恋人達を引き裂く理不尽なものかが、観るものにとって胸に迫ってくる。
 主演の吉永小百合は1945年3月生まれで、もう70歳。私より1歳上である。昔、大学に通っていた頃、彼女は早稲田の第二文学部に行っていた。文学部のキャンパスで姿を見かけたことがある。当時、私的ゼミで松浦友久先生に「論語」を学んでいた頃、松浦先生の授業(漢文かそれとも中国語か)を彼女が受講していた。松浦先生は、彼女は教室の前の方で熱心に授業を聞いていたと語ったことがある。映画の画面からもうかがわれるが、誠実な気質なのだろう。核兵器原発についても、積極的にその危険性について発言している。

桂米朝 私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)

桂米朝 私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)

 桂米朝について、ウキペディアでは以下のように紹介している。
 「3代目桂 米朝(かつら べいちょう、1925年(大正14年)11月6日 - 2015年(平成27年)3月19日)は、旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。出囃子は『都囃子』。俳号は「八十八」(やそはち)。現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。所属は米朝事務所尼崎市に住んだ。」
 残念ながら今年3月に亡くなったが、上方落語の復興・普及に果たした役割は大変大きい。本書の後ろに「桂米朝一門系図」が収められているが、その幅広さには驚かされる。芸の広さは、この中で書かれているように、芸に関わる広い人脈(上方の芸人が分野を超えてつながっている)のおかげであろう。
 仕事をしていた頃、「桂米朝落語大全集」が手に入ったので、通勤の行き帰りに聞いていた。上方落語の楽しさがわかる語り口であった。その昔、講談社文庫から興津要編で「古典落語 上・下」・「古典落語 続」・「古典落語 続々」・「江戸小咄」・「江戸小咄 続」が出されていて全巻読んで落語の楽しさを味わったのだが、やはり実際に聞こほうが良い。

台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件の守大助さんをご支援ください!
B型肝炎訴訟をお考えの方は、全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!
鶴彬の川柳歌集「手と足をもいだ丸太にしてかえし」
◯出征のあとに食えない老夫婦
◯今日も亦あぶれか野宿雨に明け
◯沈没の老朽船に迫る闇
◯生きるため争議会社のストライキ
◯寿命だと言って手当をくれぬなり