倉敷民商弾圧事件学習会と「四國徧禮道指南」

 4日(木)は夕方から徳島で倉敷民商弾圧事件学習会があったので、連れ合いとでかけた。会場には30人余が参加していた。「倉敷民商弾圧事件の無罪を勝ち取る徳島の会」の主催である。昨年11月26日に会ができて初めての学習会であった。設立総会の模様については11月27日のブログで紹介した。
 会では、日本国民救援会中央本部副会長の本藤修さんが「現在の情勢と歴史から見る倉敷民商弾圧事件の真実」と題して1時間あまり話があった。
 この事件は、えん罪事件であり弾圧事件であることがよく理解された。岡山地裁の期日には、毎回150人から200名の人が傍聴に参加している。傍聴席は98席しかないというが、裁判官・検察官に対し多くの人が関心を持って裁判の行方を監視している、不当な判決を許さないという姿勢を見せることは、私が関わっているB型肝炎訴訟と全く同じである。民商が消費税増税反対の運動の先頭に立ち、国の庶民いじめの政治に反対していることが政府から目の敵にされて、民商つぶしをされていることが理解される話であった。それだからこそ、他人事ではない弾圧事件である。
 他団体が、中小零細事業者の納税申告をサポートしても罪に問われないのに、民商については無理難題を吹っかけて無理やり有罪にしている。普通だと納税については税務署・国税局が先に不正・疑問があったら出てくるのに、最初から警察が出てきて全書類・パソコン・携帯まで取り上げている。公正に裁判ができないようにしている。しかも、逮捕のきっかけとなった建設会社夫婦に対しては逮捕も勾留もされず、執行猶予判決だけだった。しかし、税務申告を手伝った民商の事務局員は、長期間勾留されている。禰屋さんに至っては拘留期間は428日にもなっている。全く異常な警察・検察、またその長期間勾留を認めた裁判所の態度であった。
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 「四國徧禮道指南」どう、タイトルを読むのか。「しこくへんろみちしるべ」が読み方である。
 徳島を含め四國各県の書店の棚には、四國88ヶ所遍路道の解説本がたくさん並べられている。カラー写真満載で見ていて遍路道を歩きたいと心が弾む。逮捕された清原も遍路道を歩いたというのだが、どういう気持で歩いたのか、歩いていた時も覚せい剤を使用していたのか、誰でも歩けるが「発心」の気持ちがなければ何も達成できないと思う。私は宗教心がないので、札所にはいくつか行ったことがあるが、いつも観光気分である。11番藤井寺から12番焼山寺の山道の難所(13キロ)をたまに歩くこともあるが、これは登山の訓練のため。
 本書が発行されたのは1687年(貞亨4年)であるから、四国遍路のガイドブックの嚆矢とも言って良い。著者は眞念で僧侶である。当時は神仏混交であったから、神社もいくつか札所になっていた。札所に行くと各寺に「御詠歌」が掲げられている。見ても字がわからず意味も解らない。
 一番札所 霊仙寺(りょうぜんじ)
 霊山のしやかのみまへに めくりきて よろつのつみも きえうせにけり
 釈迦が説法された霊鷲山 そのゆかりの霊仙寺で ご本尊の御前まで巡ってきて そのお導きで諸々の罪が消え失せてしまいました。
 十一番札所 藤井寺
 色も香も 無比中道の藤井寺 しんによの波の たたぬ日もなし
 一色一香無比中道 つまり不二一体という言葉のように 色も香も無比中道の藤井寺で 真如の波の立たないひはありません。
 ううむ、現代語訳を書いたのだが、仏教用語がわからない。さらに注釈を読む。
 「不二一体」、「ふじいでら」という言葉が隠されている。
 「真如」一切の万有は一心真如の理体から顕現する。
 余計にわからなくなってしまった。
 高校生の頃、漢文の先生は禅宗の高僧でもあった。どういうわけか私が通学していた田園調布高校で漢文を教えていた。この先生があるとき、「縁なき衆生は度し難し」と語った。多分、みなさん真面目に授業を聞いていなかったのだろう。今でも記憶があるのだからそれだけでも仏の縁に触れたことにでもなるのであろう。
 ネットで調べてみた。
 「縁」とは、仏教とのつながり、仏縁の意。
 「衆生」とは、すべての生物のこと。
 「度す」は、仏が悟りの境地に導くという意。
 すべての生物に慈悲深い仏であっても、仏の教えを聞く機会がない者、信じようとしない者は救うことができないことから。

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鶴彬の川柳歌集「手と足をもいだ丸太にしてかえし」
◯団結の果てに俺いらの春の花
◯3・15の恨みに涸れた乳を呑み
◯奪われた田をとりかえしに来て射殺され
◯救済を待ち切れぬ手の組合旗
◯凶作を教えぬ仏を売り残している