ハプニング沖縄平和ツアー・第22回空海の道・「漢和辞典の謎」(今野真二)と「夜の女王」咲く

 10日〜13日まで新婦人徳島支部主催の平和ツアーに連れ合いと参加した。13日深夜には帰れる予定が14に日になった旅であった。総人数15名。平均年齢は70歳近かったのではないだろうか。それでも、皆さん元気。午前6時半の関空行き高速バスに乗り、11時55分発の那覇空港行きの飛行機に搭乗。天気は予想では雨であったが、幸いにも曇り。貸切バスで移動なので楽であった。
 最初には宜野湾市にある嘉数高台から普天間飛行場を視察。説明は徳島から沖縄へ移住して12年目の平和ガイドをしている大島さん。今までに950回、約3万人に説明してきたとのことであった。四国放送に長らく勤務していて、平和運動労働組合運動も熱心な人であった。徳島新聞の「読者の手紙」欄にも、197回沖縄のことなどについて報告の投稿をしている。
 嘉数高台からは普天間基地を一望できた。基地の廻りは学校や住宅ばかり。住民を強制的に追い出して作られた基地がいかに危険かが実感できた。その後、名護市に移動して名護市共同センターで1時間ほど交流した。辺野古の情況について詳しい説明をうけ、DVDも見た。夜は近くの居酒屋で沖縄料理を楽しんだ。
 翌日(11日)は辺野古を視察した。名護市共同センターの福山さんが一日付いてくれて説明してくれた。多くの方が飛行場予定地のそばのテントで、監視を続けていた。私たちは今回が2回目である。一昨年1月末に、全国B型肝炎訴訟の恒久対策会議が那覇であり、会議の後に辺野古を訪問した。それから考えると、大きく情況は変化している。建設予定地の大浦湾がよく見える高台(元は灯台)から、湾を一望した。貴重な海洋生物が多く生息している湾を、破壊しようとしているのが今回の辺野古基地建設。大浦湾をグラスボートに乗って視察する予定であったが、海が荒れているため、断念。ここに基地を作ることは、沖縄の基地負担軽減どころか、負担増・危険増につながるという説明であった。その後、東村の高江に行った。ここでは部落を囲んで6つのヘリパットが作られようとしていて、反対の座り込み行動が続いている。普天間基地では10数機のオスプレイを見たが、これがアメリカでは絶対にできない危険な方法で訓練をするというのだ。今では高江に住んでいるという、徳島出身の女性もいた。
 その後、国頭村にある「やんばる学びの森」で休憩。自然に囲まれ展望もよく、宿泊棟まである。家族連れで楽しめるところである。ここで、第一のハプニンが。周囲を散策した後、目の前に小高い丘が見えたので、距離も短いし走って登ることにした。ところが急に左足が痛くなった。軽い肉離れのようであった。その上、手や手首を虫に噛まれた。右手が腫れてきて、足も引きずって歩かなければならない。し慣れないことを急にしたためであろう。11日の最後は辺戸岬へ行った。「日本祖国復帰闘争記念碑」が建てられている。はるか沖合には与論島(鹿児島県大島郡)が臨まれる。沖縄がアメリカに占領統治されていたころ、この先の海上で祖国復帰の交流を行っていた。
 12日は再び大島さんの案内で、平和記念館・ひめゆりの塔、魂魄の塔、轟のガマ(糸満市)を訪問した。大島さんの説明は、観光ガイドと全く違い、沖縄の歴史・沖縄戦、自己の沖縄体験に根ざしたもので、沖縄の過去・現在・未来が語られ、私たちに期待するものが伝わってきた。
 大島さんの父親は香川県出身で沖縄戦で亡くなった。もちろん、遺骨はない。平和の礎の香川県のところには「大島初夫」と刻まれている。その碑の前と朝鮮半島から来た死亡者、アメリカの死亡者の碑の前で大島さんは、今の日本の情況がどれほど危険なものか、過去の貴重な体験を活かす道からどれほど隔たっているか語った。
 夜は、久しぶりに那覇在住の従弟と食事をした。

 最終日13日は、午前中は沖縄県議選挙の応援であった。3組に分かれて行動したが、私は瀬長美佐雄さんの応援であった。彼は市議も何期か勤め、そして沖縄では大変畏敬されている那覇市長・衆議院議員でもあった瀬長亀次郎の孫であった。この日は日差しも照っていて、汗だくの家庭訪問であった。午後からは那覇市に戻り「不屈館」(瀬長亀次郎の記念館)を見学した。不屈館ではNHKがずっと昔制作した沖縄復帰の運動をえがいたドキュメンタリーが上映された。その中で瀬長亀次郎が多大な貢献をしたことが理解された。今のNHKの姿勢とは大違いである。
 不屈館見学の後は自由行動。私たちを含め、みなさん国際通りへ行った。牧志公設市場を見学した。市場の近くで手ぬぐいを沢山並べている店を発見。早速、沖縄らしい柄の手ぬぐいを購入した。また古書店もあり、ここでは「沖縄戦記 鉄の暴風」(沖縄タイムス社編)と「民族の悲劇」(瀬長亀次郎 新日本出版社)を購入した。おかげで、財布はカラッポ。
 皆さん、買い物を終えて那覇空港へ。ここで、第二のハプニンがが発生した。関空行きの飛行機が、使用機の遅れでなかなか来ない。結局出発は定刻の46分遅れになった。徳島に帰る高速バスは最終便であったのだが、乗り遅れ。しかたがないので関空で宿泊。えらい臨時出費であった。そのため、14日(土)に参加する予定のきょうされん徳島支部の総会には参加できなかった。
 旅行中読んだ本は、「漢和辞典の謎」であった。漢字の魅力が満載で、途中何度も脱線する話が楽しい本であった。

漢和辞典の謎 漢字の小宇宙で遊ぶ (光文社新書)

漢和辞典の謎 漢字の小宇宙で遊ぶ (光文社新書)

 昨日は、第22回空海の道ウォークがあり連れ合い、健生山の会のHさんと参加した。藤井寺から焼山寺をこして鍋岩までの15.6キロである。足の違和感はまだ残っていたが、何とか歩き通すことができた。帰りには、恒例の御所の郷の温泉で疲れを癒やした。


  
 我が家には月下美人のように一晩しか咲かない花がいくつかある。一昨日沖縄から帰ってみると、「夜の女王」が咲きかかっていた。晩の9時頃の映像である。直径が30センチほどある、大輪の花である。