B型肝炎訴訟大阪地裁、義父遺品整理・手榴弾

 昨日は、大阪地裁でB型肝炎訴訟の期日であったので参加した。今回意見陳述したのは、51歳男性と遺族の女性であった。
 男性は高校3年の時に献血をしてB型肝炎ウイルスに感染していることが判明した。30歳ころにB型肝炎を発症。これからが大変であった。病気のため、昇給・昇格も遅れ、残業もできず、その上子どもたちが大きくなって教育費も増えてきた。さらに家のローンの返済が追い打ちをかける。肝炎患者を含め多くの病人がかかえる難題が振りかかる。彼は最後に、「国は国の責任によってB型肝炎の被害が拡大したことを肝に銘じ、B型肝炎で『苦しむ人』をなくすよう、努力していただきたいと心から願います。」と語った。
 今、B型肝炎訴訟原告団弁護団も協力している肝炎対策の充実を求める国会請願署名が、衆参両院で採択されることを願うばかりである。
 遺族原告で意見陳述した女性は、連れ合いを4年前に57歳で肝がんで亡くしている。肝がんと言われてからあっという間のことであったと述べた。26歳のころ通勤途中に倒れB型肝炎と診断された。その後も何回も入退院を繰り返している。病気を抱えながら彼女と結婚し二人の子どもに恵まれたが、1997年の定期健診で肝臓が悪化していることが判明。即、入院であった。7年前新しい職場で正職員になったばかりのときに、肝ガンが見つかり何度も治療のため入院した。4年前に肝ガンが見つかった時には余命の少ないことを主治医から言われた。彼は奥さんには内緒で子どもの就職のことを学校長にお願いしたり、学費の減額手続きや修学旅行費を全額前払いなどして、残される家族が少しでも安心して生活できるようにしていた。
 遺族原告の女性は、「この訴訟に参加し、まだまだ沢山の方がB型肝炎による肝硬変、肝がんなどで苦しい思いをしていることを知りました。病気になって困るのはお金です。進行していくにしたがって、働けなくなるのに、薬代も病院代も大変な金額になります。国には、治療費の問題について早く対応し、今、生きてられる方をどうか安心させてあげて下さい。」と陳述した。
 弁護団からも意見陳述があり、まだまだ被害者数に対して提訴者数が少なく、B型肝炎訴訟についての広報を国がもっとするように要望した。またB型肝炎特措法の5年間延長が今国会で決まったが、参議院の附帯決議が誠実に実行されるよう強く求めている。以下がその内容である。長いが引用する。

 政府は、本法の施行に当たり、次の事項について適切な措置を講ずるべきである。
一、特定B型肝炎ウイルス感染者給付金を請求することができるにもかかわらず、手続を承知していないこと又は感染を自覚していないことにより同給付金を請求していない者が生じないよう、手続の一層の周知を図るとともに、集団予防接種等の際の注射器の連続使用を含む様々な感染可能性を明示した上での肝炎ウイルス検査の一層の勧奨を進めること。また、肝炎ウイルス検査の受診率を向上させるため、現行の諸施策の効果について検討した上で、定期健康診断等のメニューへの追加や、当該検査費用助成の拡充について検討すること。
二、感染被害者を含む肝炎患者等が、不当な偏見又は差別を受けることなく安心して暮らせるよう、集団予防接種等によるB型肝炎ウイルス感染被害者が相当数に及んでいることを含む情報の提供、ウイルス性肝炎に関する正しい知識の普及など、国民に対する広報・啓発により一層努めること。
三、ウイルス性肝硬変及び肝がんの患者に対する医療費助成について検討を進めること。また、B型肝炎ウイルスを排除する治療薬の研究開発を加速化すること。
右決議する。

 火曜日(17日)、近くに住む義弟から電話があった。義父の遺品を整理したいから必要な物があるか、見て欲しいとのことであった。連れ合いは見ると思い出が沢山あって辛いからということで、私が行った。晩年義父は短歌を作っていて、短歌集を出すことになり、私が編集を担当した。今から12年前のことである。署名は「光十字に」。徳島短歌賞を受賞したこともある。
 防犯灯の光十字に煌めきて星一つなき魔界を制す
 短歌が書かれた短冊や色紙がいっぱいあったのでもらってきた。その他に見つけたのが手榴弾。もちろん本物ではない。義父はスポーツマンで、軍隊に入っていたころ手榴弾投げで良い成績を出したと、自慢していたことがありその記念に、「体力章検定規格手榴弾 賞」と刻まれたものを貰っていた。大きさ重さは実物と同じである。
 

 この他に、どういうわけか長女が東京タワーに行った時に描いてもらった似顔絵があった。38年も前、5歳であった。1978年8月14日と書かれている。私たち夫婦は仕事が忙しく、夏休みには東京にいる私の両親に預けていた。雰囲気がよく出ている。



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 湯浅竹山人編「粹の懐」昭和2年(1927年)12月発行
◯都そだちの梅の木なれど、ぬしへこの身を筑紫潟。
◯捨ててあれどもあいきやうあれば、人の眼につく春の艸。
◯むりにいとないはらさぐられて、笑顔ながらになく市松。
◯戀の苦労で海山こへて、しらぬ他国で炭俵。
◯主しの心と此三味線は、とかくピンシャンなるわいな。