義弟宅地鎮祭・棟札と「民族の悲劇」瀬長亀次郎・イハ洋一当選へ

 義弟宅の取り壊しが終わり、今朝は地鎮祭があったので参加した。以前の家は藁葺き屋根(トタンで覆つているが)の農家であった。神主が参加して几帳面に祈りを捧げてくれ、私たちも同じく安全に建築されることを祈った。

 前の家を取り壊す際に棟札が見つかった。それによると建築されたのは大正5年1月28日と書かれていた。1916年のことであるから、築100年になっていた。この棟札を新築の家にも貼るという。

 瀬長亀次郎の「民族の悲劇」を読んだ。

民族の悲劇 沖縄県民の抵抗

民族の悲劇 沖縄県民の抵抗

 本書は1959年3月に三一書房から出版されている。
ウキペディアによると、以下のように紹介されている。
 瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 〜 2001年(平成13年)10月5日)は、日本の政治家。沖縄の本土復帰前からの同地区非合法日本共産党員、同党公然組織である沖縄人民党幹部。復帰前に、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員1期。本土復帰後、衆議院議員としては人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長をつとめた。
 那覇市民の大きな支持によって那覇市長に当選した時には、当時沖縄を占領していた米軍布令によって追放されている。沖縄が米国によって占領統治されてから10年余りまでのできごとが書かれているが、米軍による強制的な土地取り上げと沖縄県民の闘い、米軍に協力する沖縄の企業や日本本国の政治家たちの動きがいきいきと書かれている。ここで書かれた問題が、本書出版の60年近くたっても解決されていないどころか、米国への危険な従属が進んでいることを、昨今の安倍政治を見ると明らかになってくる。
 参議院選挙、全国と同じく沖縄でも接戦が続いている。沖縄・日本の在り方を根本的にかるためにも「イハ洋一」候補の当選が欠かせない。

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 湯浅竹山人編「粹の懐」昭和2年(1927年)12月発行
◯まかすからには此たましいを、ぬしのうわきに入れかへて。
◯無理な願ひの縁さへとげて、捨るいのちもおしくなる。
◯長い命を短ふもつも、みんなおまへがさせるわざ。
◯ちぢまる程にも苦をした主に、そへば長生したくなる。
◯さして寝たのか此かんざしの、蝶もすすきも乱れだす。