あわ9条の会事務局会議

 昨晩は7時からあわ9条の会の事務局会議が我が家であった。先月からの行動、これからの行動、会報の発行などについて話しあった。宣伝行動は9月9日と10月16日、事務局会議は9月14日と10月19日。11月3日(文化の日)には9条の会徳島のイベントが徳島市である。内容はこれから論議することになっている。
 会議のあいだ中、2歳の孫が何回も私たちが話し合っている部屋にやってきた。未知らない人が来ているので興味があったのだろう。小2のお兄ちゃんは一昨日から風邪をひいておとなしくしていたが、今朝はだいぶ復活してきたようだ。
 7月・8月にあわ9条の会が主催して行われた平和写真展の様子を紹介しよう。会場においていた署名「ヒロシマナガサキ被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」に今年から取り組んでいる。81筆の協力が得られた。下は、署名の訴え。

  被爆者は核兵器廃絶を心から求めます
 人類は今、破滅への道を進むのか、命輝く青い地球を目指すのか岐路に立たされています 。
 1945年 8月 6日と9日、米軍が投下した2発の原子爆弾は、一瞬に広島・長崎を壊滅させ、数十万の人びとを無差別に殺傷しました。真っ黒に焦げ炭になった屍、ずるむけのからだ、無言で歩きつづける人びとの列。生き地獄そのものでした。生きのびた人も、次から次と倒れていきました。70年が過ぎた今も後障害にさいなまれ、子や孫への不安のなか、私たちは生きぬいてきました。もうこんなとは、たくさんです。
 沈黙を強いられていた被爆者が、被爆から11 年後の1956年8月に長崎に集まり、日本原水爆被害者団体協議会日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)を結成しました。そこで「自らを救い、私たちの体験を通して人類の危機救おう」と誓い、世界に向けて、「ふたび被爆者をつくるな」と訴えつづけてきました。 被爆者の心から叫びです 。
 しかし、地球上では今なお戦乱や紛争が絶えず、罪のない人びとが命を奪われています。核兵器を脅迫に使ったり、新な開発をする動きもあります。現存する1万数千発の核兵器の破壊力は、広島・長崎の2発の原爆の数万倍にもおよびます。核兵器は、人類はもとより地球上に存在するすべての生命を断ち切り、環境を破壊し、地球を死の星にする悪魔の兵器です。
 人類は、生物兵器化学兵器について、使用、開発、生産、保有を条約、議定書などで禁じて来ました。それらをはるかに上回る破壊力をもつ核兵器を禁じることに何のためらいが必要でしょうか。
 平均年齢80歳を超えた被爆者は、後世の人びとが生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したいと切望しています 。あなたとあなたの家族、すべての人びとを絶対に被爆者にしてはなりません。あなたの署名が、核兵器廃絶を求める何億という世界の世論となって、国際政治を動かし、命輝く青い地球を未来に残すと確信します。あなたの署名を心から訴えます。

台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件の守大助さんをご支援ください!
B型肝炎訴訟をお考えの方は、全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!
 湯浅竹山人編「粹の懐」昭和2年(1927年)12月発行
◯宵は嬉しくきく鐘の音も、今はつらさの明のかね。
◯おもひ出す程わするる閑が、なくてしばしも苦が絶へぬ。
◯仇な朝顔根のなひ竹に、そふて色ゆへからむとは。
◯はれてうれしく添ながらにも、もれりやはづかし新枕
◯おもひ切(きつ)たといふひと言に、あつて夜毎の夢に迄。