B型肝炎訴訟大阪期日と土鈴

 昨日(16日)は大阪地裁でB型肝炎訴訟の裁判があったので参加した。行きは家から土成の高速バス停まで歩いて行った。35分ほどかかったが晴れで汗をたくさんかいた。
 裁判所では今回は傍聴席に入りきらず、法廷内にも椅子をたくさん入れての傍聴であった。裁判で貴重な原告や弁護士の意見陳述を聞くことは、大変勉強にもなり活動の糧にもなると思う。
 原告番号3700番の男性は1957年生まれ。愛媛県越智郡しまなみ街道の島で生まれた。両親、父親の兄弟、自身の兄弟など10人ぐらしの貧しい生活だったと話している。兄・姉は中学卒業で仕事をし、彼の高校進学を援助してくれた。幼稚園児の頃から身体の倦怠感があって、しょっちゅう学校を休んでいたので、いじめにもあった。高校を卒業して1977年5月に大阪の企業に就職した。1977年10月に会社の検診でB型肝炎ウイルスに感染していることがわかった。翌年3月に会社の歓送迎会があり参加した。そこで上司から「こいつは検査で人にうつる病気に感染しているので席は別にしたほうがいい」「血液の病気で感染する」と参加者の前で言われた。同僚の中には「席を変えてくれ」と言った先輩もいた。その後、皆の彼を見る目が変わったように感じた。通りすがりをぱっと避けられたり、彼が触ったものは消毒液で拭いたり、ゴミ箱にほかしたりしていた。
 意見陳述の最後に「この病気は一過性の感染症とは違い、大変な苦しみを抱えながら生きていくしかありません。この病気のことはあまり考えないようにしていますが、急に悪化する可能性はある訳ですからとても不安です。長い間色んなものを犠牲にした私の貴重な時間が戻ることはありません。本当の気持ちは返してほしい。多くの方が差別や偏見に苦しんでいます。国に対してすべての人がもれることなく、救済されることを願っています。」と話した。
 この日の和解者は70名であった。もう一人意見陳述をする予定(女性)であったが、裁判所に来る途中で何らかの事故があったのか、鎖骨骨折をして急遽取りやめになった。大阪弁護団の集計によると、全国B型肝炎訴訟弁護団の集計で提訴した被害者数は全国で14,126名、大阪で3,076名(原告数はこれよりも多い)。大阪地裁における府県別提訴被害者数は、大阪府1,396名、兵庫県1,128名、京都府374名、奈良県254名、滋賀県191名、和歌山県152名、徳島県90名、その他220名、合計3805名。
 裁判傍聴の後、大阪弁護士会館で報告集会・原告団会議が行われた。これにも多くの方が参加した。交流会では、家の近所や会社では絶対に自分がB型肝炎に罹患しているとは言わないが、ここでは何の気がねもなく話せるので気が晴れる。早くB型肝炎だと普通に言えるようになってほしいと感想を述べる人もいた。全くその通りで、国には差別・偏見の解消とともに、B型肝炎ウイルスを身体から排除できる薬を一日でも早く開発してほしい。
 高速バスで阪急三番街に着いた後昼食を取り、少し時間があったので阪急古書のまちに立ち寄った。そこで見つけたのが土鈴。古書店街と言っても古書ばかりを扱っているわけではない。以前も本を買った杉本梁江堂の店先のショウウインドウに20点余の土鈴があった。全てを買う金もないので、佐賀・尾崎土人形の天神様の土鈴、滋賀・大津の大津絵の土鈴(高橋和堂作。もう40数年前に三井寺の前にある高橋和堂の店で大津絵の槍持奴の額を買って、わが家の玄関に飾っている)、福岡・田川郡浮田町英彦山がらがらの3点を買った。3点で2,400円。

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 湯浅竹山人編「粹の懐」昭和2年(1927年)12月発行
◯浮名立ばの戀路の重荷、心やすまるつゑがなひ。
◯春の浮氣の心がしれて、やまもそろそろやきかかる。
◯蝶の亂れを尻目でにらみ、涎(よだれ)ながした野邊の牛。
◯是れが人なら言いわけ立ぬ、のみに喰わした此のからだ。
◯月にだまされなく烏とも、しらずわたしもだまされた。