道つくり・防災講座、肝炎医療講演会案内、生笑一座

 今朝(10月1日)は8時から谷自治会の道つくりがあり参加した。神社は、大木を切っため日当たりがよく、その上連日の雨なので雑草が1m近く茂っているところもあった。50人近くの参加で自治会地域の道路の雑草もきれいに刈り取った。1時間あまりで終了した。その後は、柿原公民館で防災講座があった。消防署からきた消防隊員が人工呼吸・胸骨圧迫の方法、AEDの使い方などを実際に見せてくれて、参加者全員が試してみた。
 2013年3月25日のことであった。連れ合いと四国88ヶ所11番札所の藤井寺から、12番札所の焼山寺の険しい山路を歩いていた時、遍路道に倒れている人を見つけた。すぐに119番に通報すると、消防隊が着くまで人工呼吸をしてくださいとのことであった。山路なので救急車は近くまで来れない。20分以上も連れ合いと人工呼吸をし続けた。大変な経験であった(「ブログで中国 孺子の牛其の三」 143四国11番札所藤井寺から柳水庵まで に詳細を書いた)。
 昨日(9月30日)は、午後から徳島県医師会館で社会福祉法人徳島県自殺予防協会主催による「いのちの希望 2016チャリティ講演会『生きる』」があり、連れ合いと参加した。100人あまりが参加した。講演は「生きていれば いつか笑える日がくる」と題しているが、「生笑一座」(いきわらいちざ NPO法人抱樸)によるお話。座長は奥田知志で座員を引き連れて福岡からやってきた。この座員になるは2つの条件をクリヤしないとなれない。①野宿の経験があること②自殺を考えたことがあること であった。②は誰でもあるようだが、①はなかなかクリヤできない。奥田さんが座員に質問を投げかけて、座員が自分の経験を語る段取りになっている。最初の人は11年もの野宿経験があり、残飯回収、アルミの空き缶回収などで何とか生きてきた。1日の生計費は1,000円(1日2食)。病気になってももちろん医者にかかることはできない。野宿をやめて支援者の協力を得て市営住宅に入ることになったのは、日本経済・世界経済と密接に関係あることが知らされた。アルミ缶1キロが値段が高い時には135円で、彼は毎月200キロほど集めて生きてきたのだ。北京オリンピックの時が最高値でリーマンショックの時が35円。これでは野宿生活もできない。助けてと言える勇気が大切で、今では心から笑えることもできるようになった。他の座員は、ダンボール小屋に火をつけられてリ、石を投げつけられたり、暴行を受けたり色々な被害を被ってきた。
 座員の皆さんの話は、人間性を取り戻す、人間らしく生きることの大切さ、そのためには自分の意志をきちんと表明し社会に働きかける重要さを教えてくれた。座員の皆さん、全国各地の小中・高等学校に出かけて、自らの体験を話している。そういう行動によって路上生活者などへの差別偏見がなくなるB型肝炎患者・原告の皆さんも患者講義を、大学や高校(一部には中学校など)で行っているが、そのこととも相通じる思いがした。
 「生きてさえいれば、いつか笑える日がくる」という彼らの標語はB型肝炎患者にも大事な一語である。
 この日の詳細はマサ子通信パート2を参照してください。

 一昨日(9月29日)は、10月22日に行われる医療講演会・B型肝炎訴訟相談会の案内を、大阪弁護団の弁護士3名と徳島肝炎の会近藤事務局長等と行った。1時40分に徳島駅前に集合した。そこから大車輪で病院などを回った。古川病院・日比野病院・徳島県保険医協会・徳島県医師会・徳島市医師会・徳島保健所・徳島県感染症・疾病対策室・徳大病院肝疾患相談室・徳大消化器内科医局、それと講師の谷口先生であった。使いなれない言葉を使うので大変疲れた。

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 湯浅竹山人編「粹の懐」昭和2年(1927年)12月発行
◯胸に迷ひの雲さへのけば、そでのしぐれもはれわたる。
◯朝の別におもはずそでを、またもしぼらす露しぐれ。
◯それと明していはれぬ胸も、今はつつむにつつまれぬ。
◯むすぶ手先ももしとけるかと、便りなひぞへ繻子の帯。
◯かんじんの御本尊さへ提灯じや物、くらいあんどがきくものか。