国民救援会徳島県本部大会、近藤事務局長の退職、国営まんのう公園など

 13日(木)は中国語教室の後、徳島市内の「かたやま」で開かれた、近藤徳島肝炎の会事務局長の医療会が開かれたので参加した。かれは9月末に四国医療事業協の専務を退職した。10年余り医薬品の共同購入で大きな役割を果たした。料理も酒も美味しく楽しく交流した。9名が参加。15日(土)はこれまた近藤さんの慰労会があった。主催は法人であったが、私もどういうわけか招待された。参加者は20名でこじんまりとした雰囲気で楽しめた。事業協の理事長・副理事長が愛媛・香川からやってきた。また、元部下のS女史も岡山からやってきて、久しぶりに交流した。S女史は7月に中国の延吉に一緒に行った女性である。参加者の皆さん、彼とのかかわり合いや人となりを交々披露した。私が一番付き合いが長く、仕事だけでなく患者会労働組合・私的な付き合いも含めて話をした。近藤さんへの記念品はバッグであった。理事長からは高知の酒・司牡丹、S女史からは中国の白酒「水井坊」(多分、中国延吉の延辺大学で日本語を教えている連れ合いさんから送ってきたのだろう。私にも白酒「牛栏山」のプレゼントがあった。)が贈られた。

 ここまで書いたところで、携帯電話が鳴った。守大助さんを支援する徳島の会のK事務局長からであった。今日は10時から徳島市まで出かけて、会員さんを訪問して機関誌「僕はやってない」の配布と会費の集金をすることになっていた。全く、失念していた。慌てて待ち合わせ場所に行ったが、10時50分過ぎであった。1時過ぎまで昼食も取らずに会員さんをまわり、34名から集金ができた。明日は我が家に10時集合で彼女が来て、県西部を回ることになっている。これは忘れようがない。
 15日(土)は1時半から日本国民救援会徳島県本部第42回大会があるので、連れ合いと出かけた。連れ合いは今年も議長役であった。私は、守大助さんを支援する徳島の会を代表して挨拶を行った。以下が挨拶文。
  日本国民救援会徳島県本部第42回大会あいさつ
日本国民救援会徳島県本部第42回大会のご盛会おめでとうございます。また日頃は、私たち守大助を支援する徳島の会に対して、温かいご援助を頂き誠にありがとうございます。
 本大会の議案書の「全国事件の取り組み」の項では、大変大きなページを割いて、詳しく私たちの取り組みをご紹介していただいていますが、国民救援会徳島県本部の大事な活動の一つとして位置づけられていることは、大変嬉しい限りです。
 今年2月に開かれた第11回守大助の会総会では、①仙台高裁あての署名4,000筆、②500名会員の維持、③役員会の毎月開催、④機関誌「僕はやってない」の年4回発行などを決めて活動を行っています。
 そして今月10日に開かれた役員会では、署名数3,200筆、会員数500名になっています。来年2月4日にはあわぎんホールで第12回総会を開く予定になっています。第11回総会で決めた目標をやり遂げ、守大助さんを一日でも早く、ご両親の下に取り戻せるよう、全国の救援会、支援する会みなさんとともに活動をするつもりでおりますので、国民救援会徳島県本部の皆さまには引き続き温かいご指導とご援助をお願いして、簡単ではありますがご挨拶とさせていただきます。

 昨日(16日)は朝9時から恒例のマルナカ柿原店の交差点前であわ9条の会の宣伝行動があった。参加者は5名。多くの方が手を振ってくれた。
 この行動が終わると、すぐに連れ合いと香川県まんのう町にある「国営讃岐まんのう公園」に出かけた。連れ合いが会長をしている地域の婦人会の遊びの下見に、運転手役で出かけたのだ。公園は我家から60キロで1時間20分で着いた。広い敷地は満濃池に隣接していて、いろんな施設がある。高齢者が多い婦人会よりも子ども連れには恰好の遊び場である。この日も多くの家族連れが来ていてボール遊びやコスモス見物、丁度行われていた働く自動車の展示(触って乗せてくれる)に興じていた。車椅子に親を乗せて散歩している人も多数見受けられた。午後からは雨の天気予報であったが、暑い日差しが降り注ぎ汗をかいた。婦人会の帰りには温泉に寄るということで、塩入温泉と美霞洞温泉を見てきた。規模・施設内容から考えると、美霞洞温泉が適当かなと思った。帰りの運転は連れ合いが大方した。

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