「守大助さんの再審・無罪をかちとる全国集会In仙台」に参加

 3月25日(土)午後2時から「守大助さんの再審・無罪をかちとる全国集会In仙台」があり、参加してきた。会場に入りきれず300名余の参加者であった。宮城の方々はじめ準備された皆さん、ご苦労様でした。
 集会には、桜井昌司さん(布川事件元被告)・朴龍皓さん(東住吉冤罪事件)も参加した。
 集会が始まる前にプレ企画として「うたごえ」の皆さんの「芦別の雪の中を」「ぼくはやっていない」が歌われた。
 この日は3年前に守さんの再審請求が棄却された日であった。開会の挨拶で宮城の会会長の鹿又輝男さんはこれまでに22回仙台高裁に要請に行き、118,000筆を届けたこと、弁護士、支援者、ご両親などが一体となって、必ず守大助さんを仙台に取り戻そうと訴えた。
 その後、DVDビデオ「仙台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件の真相」が上映された。また、記念講演は「刑事司法の文化的水準を考える」と題して、青木正芳弁護士(仙台中央法律事務所)が話をした。講師は、日弁連副会長・日弁連人権擁護委員長なども歴任し、松山事件(1955年(昭和30年)10月18日に、宮城県志田郡松山町(現大崎市)にて発生した放火殺人事件と、それに伴った冤罪事件である。四大死刑冤罪事件の一つ(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)。日本弁護士連合会が支援していた。)の解決にも深く関わってきている。
 日本の司法はたいへん立ち遅れており、①裁判は確定するまでは無罪推定②疑わしきは被告人の利益に③集めた全証拠の開示をなどの、欧米などでは常識なことが一般的になっていない。松山事件に関わった経験も話された。
 守大助さんの場合も、多くの証拠が未だに開示されていない。開示すると守さんの無実が明らかになり、検察・警察に不利になるからだろう。無理やり犯罪者に仕立て上げている。
 弁護団報告が堀井実千生弁護士からされた。事件の経過、土橋鑑定のまちがい、判決の問題点などが話された。また、明日28日には三者協議(裁判所・検察官・弁護団)が2年ぶりに開かれ、弁護団は事実取り調べの実施を要求する、4月までに検察官が答弁書を提出する予定などの報告がされた。
 この日は内容が盛りだくさんで、関東連絡会による点滴実演(いかに検察官が主張した点滴方法、判決が認めた点滴方法が間違っているかがわかる)、参加者の紹介、メッセージの紹介、集会決議がされた。
 そして、千葉刑務所から届いた守大助さんメッセージが紹介され、ご両親からも思いが伝わる挨拶があった。参加者全員の記念撮影もされた。5時に集会は終了した。
 5時半からは交流会が行われ、軽食・お酒も出され交流を深めた。遠い徳島から来たということであろう。一日でも早く大助さんをご両親の元へと言う願いを込めて、乾杯の音頭を取らせてもらった。私は茨城から来た(23名)の席で色々話をした。
 26日(日)は現地調査ということで旧仙台北陵クリニック見学(今は別の診療所となっているので敷地の外から見た)、静かな住宅街の中にあった。その後、大助さんが半田教授から辞めてくれと言われた豪華なホテル見学をした。バスの中では事件についての学習もした。
 現地調査の後、仙台の繁華街で50人余で守さんの再審開始を求める署名行動を行った。
 25日、我が家を出たのが朝6時20分、26日、我が家に着いたのが午後10時であった。

 この集会には鳥越俊太郎江川紹子周防正行・桜井昌司(布川事件元被告)・朴龍皓(東住吉冤罪事件で再審無罪確定)・菅谷利和(足利事件元被告)・袴田秀子(袴田事件袴田巌さんの姉)さんなど全国34名、全国5団体、宮城県133名が賛同している。
 最後の写真は、前会長の佐藤さんと、集会参加の記念に。

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