肝炎患者講義の感想と「満州鉄道まぼろし旅行」(川村湊 文春文庫)、「百尺竿頭」をどう読む

 4月7日に徳大で行った、医療系学生への患者講義「なおりたい なおしたい ただそれだけ」(患者の思い 患者会活動とB型肝炎訴訟)の感想文が届いたので、読んでみた。383名もの学生の感想文なので読むのが大変であったが、皆さん熱心に聞いてくれたようだった。
 学年・学部が違うため、出された感想・理解度も違ってきた。
◯ 1960年代に行われていた注射器の使い回しの映像には驚きました。また、国はその回し打ちによってB型肝炎の感染の可能性があることを予め知っていた事には驚いとともに怒りを感じる。医療従事者は自身の利益を追い求めるのではなく、患者第一の医療を提供することが必要であり、また当然のことである。(医学部・医学科4年)
◯ 現代の日本人が健康に暮らせているのは、自分の知らない方たちの努力のおかげだと思う。自分たちの世代で解決しなければならないような問題は、後回しにせずしっかりと責任をもって解決したいと思った。また、医療に携わる者として、患者本位の医療を常に考えていきたいと思う。(歯学部1年)
◯この講義を受けるまでは、B型肝炎という名前を聞いたことがあるくらいでしたが、講義を受けて患者さんが抱えている苦しさや、患者さんに対しての周囲の差別などについて、よくわかりました。特に、患者さんの多くが、医療機関において嫌な思いをされていると知って驚きました。(薬学部1年)
◯話の要点がわかりにくかった。別に否定的な感想もありました。
◯後半の多くの人の体験談をだらだら話していたのは、同じことばかりで時間から考えると学ぶことは少なかったように感じた。ただ、肝炎が重要な病気であるということはしっかり認識した。(薬学部1年)
◯肝炎が重大な病気であることは分かったが、1時間話していた割には、内容は薄かった。(薬学部1年)

満洲鉄道まぼろし旅行

満洲鉄道まぼろし旅行

 「満州鉄道まぼろし旅行」を読んだ。1937年(昭和12年)8月の満州国旅行記(ただし、幻)である。満洲国は1932年3月成立から1945年8月に崩壊するまでの僅かな時期の日本の傀儡国家でった。「国歌」がネットで探したら出てきたので、したに記す。

 天地內有了新滿洲
 新洲便是新天地
 頂天立地無苦無憂
 造成我國家
 只有親愛並無怨仇
 人民三千萬人民三千萬
 縱加十倍也得自由
 重仁義尚禮讓
 使我身修
 家已齊國已治
 此外何求
 近之則與世界同化
 遠之則與天地同流

 大意

 天地の中に新満洲あり
 新満洲は即ち新天地である
 天を戴き地に立ちて、苦しみも憂いも無い
 ここに我が国家を立つ
 ただ親愛の心があるのみで、怨みは少しも無い
 人民は三千万あり 人民は三千万あり
 もし十倍に増えても、自由を得るだろう
 仁義を重んじ、礼儀を貴びて
 我が身を修養しよう
 家庭はすでに整い、国家もすでに治まった
 他に何を求めることがあろうか
 近くにあっては、世界と同化し
 遠くにあっては、天地と同流しよう


 黄色い部分が、当時の満洲国の領地である。
 本書は1937年8月に実際に満洲旅行をした日本人旅行者の資料をもとに書かれている。写真も豊富で、当時の時代がよく表されている。もちろん、「旅行記」なので、実際に暮らしていた中国人の「姿」は表されていない。昨年7月に行った延吉も満洲国に属していたが、私たちが巡ったところでも何ヶ所かその遺跡があった。日本が支配していた頃の監獄もあり、拷問具などが展示されていた。

 連れ合いは徳島新聞の「鳴潮」欄を、毎日「書き写しノート」に書いて、声を出して読んでいる。ボケ防止に良いそうだ。先日(5月3日)も読んでいた。私の耳にも聞こえてきたのだが、少し気になった。「ひゃくしゃくかんとう」(百尺竿頭)と言っていたのだ。その言葉、「ひゃくせきかんとう」と読むのではないか思って新聞を見ると、たしかに「ひゃくしゃくかんとう」とルビが振ってある。「百尺竿頭一歩を進む」という語句は「すでに工夫をした上にさらに向上の工夫を加える」と岩波の広辞苑(第3版 1983年)に書いてあった。「大辞泉」(小学館・1995年)でも、そう読んでいる。まだ納得がいかないので「成語林」(旺文社・1992年)を見ると、これには「ひゃくせきかんとう」と読むとも書かれていた。「四字熟語・成句辞典」では「ひゃくせきかんとう」と読むと書かれていた。これで一安心。岩波国語辞典(1977年)、三省堂新小辞林(1981年)、三省堂新版広辞林(1978年)は「ひゃくしゃくかんとう」。面白かったのがナツメ社の「ことわざ辞典」(1987年)でこれは「ひゃくせきかんとう」。何を参考にしたのだろうか。結局たどり着いたのが「修訂増補版詳解漢和大字典」(1952年 冨山房)であった。初版が1916年(大正5年)で夏目漱石がなくなった年である。ただそれだけの時間つぶしであった。

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「江戸端唄集」(岩波文庫
 都々逸百人一首
 かささぎの 渡す橋さへ ふつつり絶えて こぬはあきたか ぢらすのか
 本歌:鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける(中納言家持)