総選挙結果、守大助役員会、中国語コンテスト

 総選挙結果は、大方の予想通り自公政権の大勝利に終わった。改憲問題、社会保障、どれをとっても行く先は暗いとしか考えられない。肝炎対策についても、地道に新しい議員に訴えていかなければならない。来月16日には国会議員要請・全国集会が東京である。ぜひとも成功させて、来年度の予算編成につなげなければならない。
 土曜日(21日)は守大助の会の役員会があった。投票日前日だったがこの日をずらすわけには行かなかった。用事がある人が多く5人の参加であった。それでも、1ヶ月の総括と今後の行動などを決めた。11月14日には、私が千葉刑務所の守さんに面会に行くことになった。守さんは、作業態度も大変良くて、等級も3級から2級になり、調理場の作業が洗浄班から包丁を使う下処理になった。また、面会も月3回までが5回まで、大助さんからの発信も5通までから7通までになった。11月18日・19日には、岡山で守大助さんを支援する会の、中四国ブロック交流会が開かれる。徳島からは5名参加する予定にしている。
 10月29日(日)に行われる、第8回徳島県中国語スピーチコンテスト(主催:徳島県日中友好協会)に応募したが、スピーチの部で発表できることになった。

 発表原稿の日本語訳は、下記の通り。
   私と魯迅
 私のブログの名前は孺子の牛(じゅしのうし)です。これは魯迅の有名な詩「自嘲」の中に出てくる言葉です。
   横眉冷対千夫指   眉を横たえて冷ややかに千夫の指に対す。
   俯首甘為孺子牛   首(こうべ)を俯して甘んじて孺子の牛となる。
 魯迅は若い時に仙台に留学しました。私は高校時代に魯迅を知りました。図書館で「阿Q正伝」を借りました。大学時代には魯迅や老舎などの中国文学作品を読みました。
 卒業後は、仕事・家庭・子育て・労働組合運動などで毎日忙しく、中国文学を学ぶ時間はなく、一度は中国文学から遠ざかっていました。しかし10年前から再び中国語を学びました。今年の2月には上海大学に短期留学の経験をしました。休日を利用して、魯迅の生まれ故郷の紹興に行きました。そこは魯迅の小説「村芝居」「故郷」に書かれた頃の、田舎町の風景とは全く違っていました。紹興の街中は観光客と土産物屋が多く、非常に賑やかでした。
 私は魯迅が生活した町に行きたかっただけではなく、紹興魯迅の「薬」という小説の主人公「夏瑜」のモデルである清朝末期の女性革命家秋瑾の故郷でもあったからです。秋瑾も日本に留学していました。私は魯迅と秋瑾の旧居と記念館を訪れました。この度の旅行は大変意義があり、行った甲斐がありました。
 私は、上海の魯迅公園、魯迅記念館、旧居にも行ってきました。旧居に入ると「魯迅と日本の友人」という本が目にはいりました。私はすぐに買おうとしてお金を出しました。係員はこの本は売っていない、ここで読めと言いました。仕方がないのでその場で貪るように読みはじめました。係員が寄ってきて、あなたはこの本の内容がわかるのかと聞きました。私は見栄を張ってわかると答えました。私が熱心に読んでいる姿に心を動かされたのか、私に本をくれると言うのでした。私は大変嬉しく思いました。しばらくすると、館長が私の前にやってきました。彼は周海嬰を知っているかと私に聞きました。
 「周海嬰魯迅の一人息子です。8年前に岡山県井原市に来て、『わが父魯迅と内山完造と』題して話をした」と答えました。内山完造は上海に魯迅が住んでいた時、日本人の中では最も親しくした友人でした。館長は「その時、周海嬰の講演の通訳をした」と言いました。上海に来て岡山で通訳をした人と会えるとは思いもかけぬ嬉しいことでした。
 「魯迅と日本の友人」の最後のページには、「私が考えるに、日本と中国の人たちはきっと相互理解をするだろう。鲁迅」と書かれていました。私もまた、日中両国の人々が相互理解をし、友好が末永く続くことを願っています。

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「江戸端唄集」(岩波文庫
◯都々逸百人一首
 雲井はるかに 帆の影見えて おきつしらなみ たつかもめ
 本歌:わたの原漕ぎ出て見れば久方の雲居にまがふ沖つ白波(法生寺入道関白太政大臣
 岩にせかるる あの滝河の われても末には また一ツ
 本歌:瀬を早み岩にせかるゝ滝川にわれても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院