北京・万里の長城、「中国文学の愉しき世界」(井波律子)、

 11月3日〜5日まで、陽光学院主催の北京旅行に行ってきた。参加者は16名。私の連れ合いも参加した。最高齢は私の71才で、一番若いのは21才の女性であった。案内人は21才の女性。しっかりしていて快活、最後には日本語も覚えて話題を盛り上げてくれた。2010年4月と2014年1月に北京に来ている。とにかく朝が早く、強行軍であった。行ったところは、3日は世界遺産頤和園と宮廷料理「白家大院」。4日は万里の長城と、13人の皇帝と皇后たちが眠る十三陵。5日は天安門広場であった。宿泊したのは天倫王朝酒店。
 3日は入国検査で時間がかかって、予定の北京のリンピック会場の「鳥の巣」には行けなかった。とにかく、朝3時半に起きて松茂から関空行きの高速バス(5時発)に乗った。7時25分に関空に着いたが、搭乗する飛行機は10時。北京に着いたのは13時30分(中国時間 時差1時間)。ところが入国手続に1時間半あまりかかって、色々行き違いもあって貸切バスに乗ったのが3時過ぎであった。
 最初に行った頤和園は約290㌶(東京ドームの62倍)もあるという大庭園(入園料20元)。ここには昆明湖、仏香閣・万寿山・長廊など見どころが多い。頤和園のもとは1153年に建てられた皇帝の行宮であった。1750年から拡張が始まり1764年に完成している。しかし1980年にイギリス軍とフランス軍により焼き討ちにあっている。その修復に、当時清朝の実権を握っていた西太后は、西欧列強に対抗するために軍艦を作るための3000万両を横流ししている。現在の価格で言うとどうなるのだろうか。清朝が滅びるのは必然であった。
 夜は宮廷料を満喫した。清朝時代の貸衣装があり、連れ合いも記念撮影。貸し出し料金は100元であった。この日の歩数は10,413歩。







 4日の予定は、万里の長城と十三陵、王府井散策であった。朝5時に起きて7時に貸切バスに乗って万里の長城に向けて出発。10時前から頂上を目指した。総員16名の内8名が歩いて、後8人はロープウェイを使って長城の八達嶺を目指した。私と連れ合いは、もちろん歩いて。急斜面の道は相変わらず混んでいて、なかなか前に進めない。天気がよく展望も良くてきついが楽しい歩きであった。
 昼食場所はバイキング料理の店であったが、着いたのが2時。料理はもう冷めていて、残念ながら美味しくなかった。その後は明代の皇帝の墓所である十三陵を見学した。ここは文化大革命によってあらされていたところでもある。4時過ぎに見学を終えて、ホテルを目指した。1時間半ぐらいで着き、その後自由行動で王府井散策の予定であったが、これが大誤算。なかなか宿舎に着かない。仕方がないので貸切バスを途中で降りて地下鉄でホテルに戻ることになった。地下鉄王府井駅で下車してそれぞれが自由行動をした。私は王府井書店に立ち寄って、兄から頼まれていた仏像の本を購入した。この日の歩数は26,513歩。
 5日も朝早くから起きて、天安門広場に行ってきた。特に感想はない。ホテルに戻って10時に貸切バスで北京首都国際空港へ。11時過ぎに空港に到着。ここでも大変時間がかかった。もう少し簡便な搭乗手続きはないものかと思う。2時半の飛行機に乗って関空に着いたのは18時20分。徳島行きの高速バスに乗って、我が家に着いたのは10時少し前であった。この日の歩数は11,694歩。





中国文学の愉しき世界 (岩波現代文庫)

中国文学の愉しき世界 (岩波現代文庫)

 今回の旅行に持参したのは、「中国文学の愉しき世界」(井波律子 岩波現代文庫)。「奇行・幻想・夢  おもしろづくめの中国文学案内」と帯に書いてあった。最後の章の「本と人との出会い 私の中国文学遍歴」がもっとも興味深かった。彼女がかかわった人との話がとても楽しく読めた。特に高橋和巳であった。彼は小説家としても大きな業績を残したが、京都大学の中文卒業で、1958年に岩波書店の中国詩人選集15に「李商隠」を書いている。27才のときであった。我が家にあるのはこの他に、「新しき長城 河出書房  1968年3月購入」、「文学の責任 河出書房 1968年3月購入」、「堕落 河出書房 1969年4月購入」、「中国文学論集 河出書房  1972年5月購入」。

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「江戸端唄集」(岩波文庫
◯都々逸百人一首
 憂きにたえぬる このゆき風に はつ花なみだで ひくくるま
 本歌:思ひ侘びさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり(道因法師)
 竹のはしらを 何厭ぬぞ 山のおくにも しかはすむ
 本歌:世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(皇太后太夫俊成)