夏の2大イベント終了、日本母親大会に守祐子さん参加

 昨日夕方、高知で行われた第64回日本母親大会から戻ってきた。今回の大会での私の役目は、大助さんの母親の祐子さんを、母親大会の全体会会場で大助さんの無実を訴えさせるためのサポートであった。
 台風20号が四国に上陸ということでヤキモキしたが、24日(金)は天候も比較的穏やかで、役員のTさんの運転で、川上事務局長、連れ合いと私で高知に向かった。高知自動車道は空いていて12時前には高知に着き、ひろめ市場で美味しい昼食をとった。連れ合いは午後2時からの母親大会運営会議に参加。私たちは高知空港に守祐子さんを迎えに行った高知の会長さん和田さんらを待った。
 祐子さんの乗った飛行機は1時間ほど遅れたが、無事高知に着き、北海道の札幌守る会宮坂会長さん、高知の和田会長、胡摩粼事務局長、五藤さん、坂下さん、連れ合いら10人で翌日の全体会での打ち合わせと交流を行った。美味しい食事でした。心配していた祐子さんの体調も比較的良さそうで安心した。
 25日(土)は高知県民体育館で全体会があった。全国各地から多くの母親がが集まり4,300人にものぼった。参加者の皆さんの顔は、どれも大会への期待で生き生きとしていた。各団体からの挨拶の後、記念講演は「憲法とともにあゆみつづける」と題して渡辺治さん(一橋大学名誉教授)が行った。
 記念講演の後文化行事「よさこい鳴子踊り」があり、いよいよ今日の運動で各地のたたかいが紹介される。ここに私たちは登場して、大助さんの無実を訴える。しかし、33もの団体がそれぞれの取組を話すので、持ち時間はわずか1分間。息子の大助さんを思いながらとつとつと話す祐子さんの話は、聞く人の心に大きく響いたようであった。内容は、以下の通り。
 「私は無実の罪で17年間も拘束されている守大助の母親の守祐子です。
 息子は怪我で入院した際手厚い看護に感動し看護職を志し仕事に誇りをもち、一生懸命頑張っていました。
 病気が原因で急変患者が出たものを、警察が素人判断で事件と勘違いし、動機も目撃者も証拠もない息子を犯人に仕立て上げたのです。唯一の鑑定資料を全量消費したとして廃棄するなど、再鑑定を不能にし無期懲役にされたのです。
 息子は無実です。私が産んで、私が育てた子どもです。一日でも長く一緒に暮らせるよう息子を助けてください。署名にご協力ください。」
 全体会は5時に終了した。その後、私たちは今回の祐子さんが全体会で発言できた第一の功労者である、徳島県の参加者にお礼とさらなる協力のお願いに行った。参加者が多く、宿泊しているホテルも2つに分かれている。皆さん夕食を取りながら私たちの訴えを聞いてくれた。来年の母親大会でも、必ず祐子さんが訴えることができるようにと思った。午後8時からまた和田さんが用意してくれた居酒屋で夕食を取り、今日の行動が成功したことを祝った。祐子さんは体調不良にもかかわらず、疲れた様子も見せず頑張ってくれた。感謝である。今頃は仙台の自宅で休息されていると思う。お体をお大事に。
 26日は分科会で、私たちは第21分科会「憲法施行71年 今こそ、くらしに憲法を生かそう」に参加した。助言者は楾(はんどう)弁護士。「檻の中のライオン」と題した本を出版して、憲法の中身を優しく解説している。国民主権基本的人権などの重要性が理解される発言を1時間半ほどした。それからは280名の参加者が憲法にまつわる各地の取り組みを紹介した。私はえん罪で刑務所に入れられ、基本的人権を大きく侵害されている守大助さんのことを報告して、参加者の協力を求めた。