明治少年懐古

 副題に「あかりをつけて夜学をはじめやう」とある。著者は版画家・詩人である。1972年に亡くなったが、中央公論社から「川上澄生全集」(全14巻)が出されているが、今は古書店でしか手に入らない。本書は1936年に版画荘から「少少昔噺」と題して刊行されている。版画がたくさん入って懐かしい本である。

明治少年懐古 (ウェッジ文庫)

明治少年懐古 (ウェッジ文庫)

 明治30年代の少年時代の有様が写されている。「第36 青山」は東京の青山を描写したものである。こう書いている。
 「あの時分の青山はまだまだ田舎だった。電車もなかった。青山の通りには渋谷通ひのがた馬車が走り、藁屋根もあった位だった。私の家は長者丸にあった。梅の木が沢山あって、四斗樽に二杯、それでも這入り切らなくて洗濯盥に山盛り一杯の梅の実がとれた。李もあったし梨の木もあったし栗の木も大きなものがあった。それにもまして下町から移って来た私に珍しかったのは、土筆や嫁菜や野びるやもちぐさのあったことだった。又私は酸かんぽを喰べ、つばなの綿のような穂をべることも知った。皆これらは庭にあった。裏庭には唐もろこし畑を作り大根を作り馬鈴薯を作った。左隣は麦畑、右隣は牛乳屋で牛の鳴く声も聞かれた。裏庭には杉や櫟の雑木が生えて居てからたちの自然の垣の先は溝川をへだてて水田であった。その水田は麻布の笄町から霞町へ続いて居て、我々は笄田んぼと呼んで居た。夏になると蛍がとんで来たし、色々の虫が鳴いた。鈴虫、松虫、くつわ虫、草ひばりなどといふ虫の名を覚えた。庭の木の枝に梟の声も聞いた。青山は東京の田舎だった。」
 私が住んでいた頃の東京は昭和21年から43年だったから、こんな景色にはお目にかかれなかった。
 広辞苑によると「がた馬車」は「粗末な乗合馬車」とあった。