魯迅再読 2

 今回読んだのは、同じ藤井省三訳の「酒楼にて・非攻」(光文社古典新訳文庫)。魯迅の小説集「彷徨」から「祝福」など11篇中から4編、「故事新編」から「鋳剣」など8篇中から4編が翻訳されている。訳者あとがきで「魯迅は現代中国の原点であり、太宰治武田泰淳そして大江健三郎ら近現代日本の作家にも大きな影響を与えて続けてきた。」として、さらに村上春樹の新作「IQ84 BOOK3」などの登場人物にも、魯迅の影響を見つけているが、私は村上春樹は読んだことがない。
 魯迅の小説は、どれも感銘を受けたのだが、特に「彷徨」では「酒楼にて」のほかに今回は収録されていないが「孤独者」に、「故事新編」では「鋳剣」のほかに「理水」が印象に残っている。まだ、散文詩集として「野草」が残っているので、そのうち出版されることを期待している。
 彷徨では、まだまだ清朝時代の陋習を引きずっている中華民国に生きる知識人の苦悩と、民衆の戸惑いが見られるような気がする。
 故事新編は、「新編」と題するように、魯迅の新たな解釈がこれまた旧弊に固執する人への冷めたまなざしがうかがわれる。
 「非攻」では懸命に非戦を説き奮闘する墨子が、大業をやり遂げて帰る途中の「宋の国境に入るや、二度も荷物検査を受け、さらに救国募金隊に出くわして、ボロ包みをカンパさせられ、南門まで来ると、大雨に降られ、城門の下で雨宿りしようと思うと、二人の矛を持った巡察兵の追い立てを食らって、全身ビショ濡れ、それから十日以上も鼻詰まりが続いたのであった。」という、最後の場面などは魯迅のユーモアの妙が感じられる。「救国募金隊」(原文では 募捐救国隊)は、当時の国民党政府の欺瞞的な行為を暴いているという。「非攻」が書かれた当時の国民党政府は、日本の侵略に対しては真正面から戦おうとせず、その一方で民衆団体を利用して「救国」の名のもとに義捐金を集めていた。
 今回の大震災でも、救援を口実に「振り込め詐欺」が横行している。善意の人々をだます手口を許してはならない。



 上の写真は、我が家の玄関にある「大津絵」


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  〇涙くらべん 山時鳥(ホトトギス) 我も憂き世の 辛ければ
  〇憂きしこの身は 親はらからの 為に沈みし 恋の淵
  〇消えぬ心の 半ばは雲に 通ふ嵐を よすがにて
 100年も前の本なので、開けるたびに表紙が壊れていく。