「良寛語釈『大智偈頌訳』」 飯田利行

良寛語釈 大智偈頌訳(だいちげじゅやく)

良寛語釈 大智偈頌訳(だいちげじゅやく)

 私にとっては全く歯が立たない本であった。高校時代、物理や化学の授業が理解でなかったが、これも同様。
 この本については購入のいきさつを、1月31日のブログに書いた。
 良寛が大智の偈頌(げじゅ)についてその語釈を本に書き込んでいる。その良寛の解釈を解説し、現代語訳したのが飯田利行の「良寛語釈『大智偈頌訳』」である。禅宗の高僧の考えを私が理解しようとするのは暴挙にも等しい。なにしろ仏教語も禅語も全く理解できないのだから。もっとも仏教語・禅語は、私たちの意識しないところで日常生活で多く使われている。
 それでも、最後まで読みとおした。大智の偈頌は226編からなっている。七言絶句の形式で書かれており、中国古典詩のようだから何とかなるだろうと思ったのが、大間違いであった。
 もう50年もの昔、余り漢文の授業に熱心でなかった私たち高校生たちに向かって、飯田先生はこう語った。「縁なき衆生は度し難し」
 「成語林」(旺文社)で調べて見るとこうあった。「慈悲深い仏も、仏を信じようとしないものを救って極楽へいかせることは難しいという意から、人の言葉を聞こうとしないものは救いようがないということ。」


〇偈頌(げじゅ)は、偈(げ)
《(梵)gāthāの音写。偈佗(げだ)・伽陀(かだ)とも音写。句・頌(じゅ)・諷頌(ふじゅ)などと訳す》仏語。経典中で、詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩(ぼさつ)をほめたたえた言葉。4字、5字または7字をもって1句とし、4句から成るものが多い。頌。 大辞泉小学館


良寛
 (宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵または文孝。号は大愚。

〇大智
 ≪生年:正応3年 (1290年)、没年:貞治5/正平21.12.10 (1367.1.10)。鎌倉後期・南北朝時代曹洞宗の禅僧。肥後(熊本県)宇土郡長崎の人。一説に諱を祖継という。肥後大慈寺の寒巌義尹のもとで出家し,南浦紹明,瑩山紹瑾,東明慧日らに学んだのち,入元して古林清茂,雲外雲岫,中峰明本に学び,また浙江の各地に曹洞宗の祖蹟を巡礼した。帰国に際して高麗に漂流したが,無事に加賀(石川県)に到着した。瑩山下の明峰素哲の法を嗣ぎ,加賀の祇陀寺を開き,晩年に肥後の豪族菊池氏の帰依などで聖護寺,広福寺を開いた。『大智禅師偈頌』は詩偈の素養として曹洞宗門に長く参究され,また仮名法語や抄物なども存する。<参考文献>広瀬良弘『禅宗地方展開史の研究』≫ (佐藤秀孝氏の解説による)


 折角だから、比較的わかりやすい偈頌を1編紹介しよう。

  「富士山」

 魏然獨露白雲間
 雪氣誰人不覺寒
 八面都無向背處
 從空突出與人看


 魏然として独露す 白雲の間、
 雪気誰れ人か 寒を覚えざらん。
 八面すべて向背の処なし、
 空より突出して 人に与えて看せしむ


 飯田先生の良寛語釈の現代語訳

 富士山は、魏然として高く白雲の間に露(あら)われて続く峰のないのは三国無双の名山だ。そのうえ此の山は、四季ともに雪を頂いているので暑い時でも一目見れば寒けを覚えない者はいない、と山の妙処を讃(たた)えるとともに宗意本体(寒は寒で絶対、暖は暖で絶対にして他を犯さないこと)の妙処を明らかにされた。
 そのうえこの山は、四方から八葉の蓮華を見るように前うしろがないので生仏(しょうぶつ)不二の本体(衆生と仏者―覚者とは、差異があるようにみえるが、本体からいえば無差別平等であること)をも明らかにしている。しかも天空から突き出ていて、地に蟠(わだか)まる山と違って、人のために看てもらえ鑑賞にたえる霊山である。

 飯田利行は良寛の語釈について、以下の様に評価している。
 「良寛語釈による『大智偈頌』は、これら先匠による註解を超え、直に永平高祖の世界にせまり自己の端的を露呈して余すことがない。したがって思わず息を呑み、襟を正さざるを得ないものがある。つまり良寛の宗乗の端的は、同じく祖述に基づくものの、詩人として、旅人として、芸術家としての良寛の感性を自在にひらめかせていることが分かった。」

 その後に、「宗乗の端的」とは「只管打座」のことだとしている。


 我が家には、平凡社東洋文庫版の「良寛歌集」と「良寛詩集」があるのだが、いつになったらそこまでたどり着くのか、全くおぼつかない。




我が家の張子面  道祖面  長野


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇泣いて悔やんで 帯買て貰ろて 質に置かれて 流された
〇内の阿姉さん 粉(こ)を引きや眠る 団子食ふ時や 眼が光る
〇私やだんない 団子屋の子でも 団子食はせず 貰やせず