忙しかった1週間、あわ9条の会、中国語、B型肝炎訴訟相談会、守大助の会、つるぎ町選挙

 たいへん慌ただしかった1週間だった。5日(月)には水戸の長女宅に行っていた連れ合いが戻ってきたので、徳島空港まで迎えに行った。
 7日(水)の夜は我が家であわ9条の会の事務局会議があり、昨日の日曜日(11日)朝には、恒例のマルナカ柿原店前でのスタンディングがあった。比較的暖かく車からの反応も良かった。8名の参加だった。
 8日(木)の午前中はつるぎ町の選挙の応援に、連れ合いと行ってきた。幸いにも昨日の投票で当選できた。午後からは陽光学院で中国語があった。
 10日(土)は佐古駅近くのJA会館でB型肝炎訴訟の相談会があり、私も元原告の立場で
参加した。何人が相談に来たかは、早く帰らせてもらったのでわからない。
 11日(日)は、守大助さんを支援する徳島の会の、駅前宣伝と、役員会があった。午前中はあわ9条の会の宣伝、午後は守大助の会の宣伝と、天気は良くても疲れる場面であった。役員会では会員数が529名、最高裁宛の再審開始を求める署名が740筆、会費の納入率は58%との報告があった。会費をきちんと集めることは活動の保障にもなるし、会員への責務でもあると私は思う。また、11月17日・18日に岡山県総社市で開かれる中四国の交流会、来年2月9日の第14回総会、新年会、守さんへの年賀状などについて話し合った。
 今日12日は、また連れ合いが水戸に娘の応援に行くので、徳島空港まで送っていった。しばらくは一人暮らしである。






今年の目標
①中国語検定2級合格 3月に不合格だったので、次回11月25日をめざす。もう2週間を切っている。
魯迅全集全20巻読了 現在、第6巻50ページまで読了。さっぱり進まない。しばらくは休憩。
台北陵クリニックえん罪事件の守大助さんをご支援ください!
B型肝炎訴訟は全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!

「山家鳥虫歌」(近世諸国民謡集 岩波文庫
○狭い広いとわしが寝た部屋を 今はよそ目で見て渡る
○雨が降ろとて沖から曇る 娘去とて婿が来ぬ
○鳥もはらはら夜もほのぼのと 鐘も鳴ります寺々に
○鉦を叩いて仏にならば 江戸の早鐘みな仏
○様よ様よと焦がれて来たに 様は唖(おし)かよもの言わぬ

連れ合い、帰徳。弟の突然の来訪、「文学に描かれた戦争 徳島大空襲を中心に」(ことのは文庫)

 先月24日から、東京(母親大会実行委員会参加と息子の配偶者との食事)、水戸(長女の家の手伝い)、柏市で墓参り、に行っていた連れ合いが5日に帰ってきた。この2週間、日肝協総会で明石市B型肝炎訴訟全国原弁会議参加で名古屋などもあり、おかげで家事雑用が大変忙しかった。
 夜7時50分徳島着の飛行機で帰ってきたのだが、私が飛行場に着く寸前に千葉県松戸市に住む弟から電話がかかってきた。今、徳島県の神山温泉にいるとのことで、明日我が家に寄ってもよいかというのである。もちろん「大丈夫」と返事したのだが、少ししか居れないという話だった。6日9時過ぎに来た彼は、先月29日から車で四国に来て、山に登っていたそうだ。伊予富士・三嶺・笹が森などなど、景色も良かったと言っていた。この季節、笹が森では霧氷も見ることができた。11時半の東京行きのフェリーで帰るというので、20分位の慌ただしい滞在であった。元気そうで何より。十数年前にも鳴門に来ていると電話がかかってきて、剣山に登るというので、私も仕事を休んで一緒に登ったことがある。


 徳島文学書道館が発行している。徳島も他の地方都市と同じように戦争中には米軍による大空襲に見舞われた。ウィキペディアによると、以下のように紹介されている。
 「徳島大空襲は、太平洋戦争末期の1945年7月4日未明に、徳島県徳島市が受けた空襲のこと。なお徳島市は、B-29による空襲を、同年6月1日から7月24日までの間に大空襲を含め7回受けている。 中略 7月4日の未明、第21航空軍第314航空団の129機のB-29新町川河口から徳島市の上空に飛来。午前1時24分から同3時19分まで、1時間55分の間焼夷弾を投下し続けた。諸説あるが、徳島市の発表では、この空襲により当時の徳島市の約62%が焼失し、人的被害は死者約1,000人(男性431人、女性553人、性別不明17人の説もあり)、けが人は約2,000人、被災者は70,295人、罹災世帯は17,183世帯とされている。」
 この本には、徳島生まれや住んだことのある、徳島にゆかりのある小説家の作品が収録されている。本の表紙にある左上の山は城山。徳島市の中心街はご覧の通りの焼け野原になった。
 収録作品は以下の通り。
瀬戸内寂聴「多々羅川」
○森内 俊雄「眉山
○富士 正晴「帝国軍隊に於ける学習・序」
○海野 十三「降伏日記」
 「帝国軍隊に於ける学習・序」では、著者の徴用工としての寮生活の経験も書かれている。「寮は軍隊にも刑務所にも似ていたような気がする。そこでわたしは闇がなくては満足には生きて行けないらしいこと、徴用工とは体のいい監獄部屋のタコのようなものであること、徴用工を必要以上にとって工場でぶらつかせておいても配給物その他の横流しで工場がもうかるのでやたらにとりたがること、つまり役所と資本家のなれ合いで徴用工が製造されるのであること、そのタコが逃げ出さぬように警察が頑張っていること」。
 先日、韓国の裁判所で断罪された日本企業の韓国人徴用工への仕打ちは、こんな甘いものではなかった。
 富士正晴は1944年、30歳の時に招集され、弾薬の運搬兵として中国を転戦している。その体験を何編か小説にしている。本書は1964年の直木賞候補作品に挙げられた。未来社から1964年9月に同じタイトルで作品集が出されている。収載作品は本タイトル以外に、「童貞」「傍観者」「南雄の美女」「崔長英」「足の裏」「死ぬ奴」であった。いずれも軍隊時代の経験が描かれている。この時期に購入して読んだ。多分、大学の卒業論文の資料として読んだのだろう。

 我が家にある彼の作品は「競輪」(1956年)「酒の詩集」(1793年)。

今年の目標
①中国語検定2級合格 3月に不合格だったので、次回11月25日をめざす。もう11月はじめに入ってしまったが、大変心もとない事態だ。
魯迅全集全20巻読了 現在、第6巻50ページまで読了。さっぱり進まない。
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B型肝炎訴訟は全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!「山家鳥虫歌」(近世諸国民謡集 岩波文庫
○舟が着く着く百廿七艘 様がござるかあの中に
丹波雪国積もらぬ前に 連れてお出やれ薄雪に
○辛苦島田にけさ結うた髪に 様が乱しゃる是非もない
○花は折りたし梢は高し 眺め暮らすや木(こ)の下(もと)に
○あだけ甚兵衛様蔦山通ひ 蔦の立石星月夜

B型肝炎訴訟全国原弁会議に参加

 11月3日・4日に、名古屋市B型肝炎訴訟全国原弁会議があったので参加した。全国から200名近くの参加があった。それだけ、この運動が活発なことの証であろうか。残念ながら徳島からは私だけの参加であった。大阪原告団弁護団からの参加者は24名であった。
 3日(土)は午後2時からの開会であったが、今まで私達が取り組んできた諸活動(患者支援制度周知活動、大臣協議・厚労省交渉、情報発信、相談事業、創薬開発の動向、教育啓発活動(患者講義など)、各地の活動報告など盛り沢山だった。資料もたくさんだされ、全国の運動がどれだけ進んでいるか理解されるものばかりであった。特別報告として、東京と山陰地方の取り組みが詳しく報告されたが、多くの原告を抱えている原告団、少数ではあるが地元に密着したきめ細かい取り組みをしている地域の報告など、参考とするところが多々あった。
 午後6時からは食事をしながらの交流会。各地の報告では時間が足りなくて聞けなかった所も詳しく聞けてよかった。皆さん、苦労しながらも楽しんでしているところが活動を続けられている秘訣のようだった。
 4日(日)は15グループに分かれて、それぞれの地域の取り組み「各地の原告団を拡充するために、どのような活動をしていくべきか。ウイルス性肝炎患者の社会的地位向上の為、教育啓発的観点、再発防止(2度と集団予防接種によるB型肝炎のまん延のようなことが無いようにする)的観点からどのような活動をしていくべきか」について話し合われた。どの地域も新たに原告の一員としてこういう運動への参加者を増やすことの大変さが語られた。徳島ももちろんそうであるが、持続的に原告団活動を発展させるためには、活動家を獲得しなKればいけない。
 我が家から車で40分あまりで松茂、高速バスに乗って新神戸駅、新幹線に乗って名古屋駅まで、4時間ほどかかった。全く名古屋の街を味わうことの時間のなかった、あわただしい会議参加であった。夜、水戸に行っている連れ合いから電話があった。娘の二男の誕生日であった。10歳のお祝いであった。
 今日は、宮城の守大助さんを守る会の総会にむけてのメッセージを書いた。あと、大助さんに出す年賀状(会員の皆さんに出してもらう)を何種類か作らなければいけない。なかなか中国語検定に向けての勉強までにいかない。

今年の目標
①中国語検定2級合格 3月に不合格だったので、次回11月25日をめざす。もう11月はじめに入ってしまったが、大変心もとない事態だ。
魯迅全集全20巻読了 現在、第6巻50ページまで読了。さっぱり進まない。
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「山家鳥虫歌」(近世諸国民謡集 岩波文庫
○尋ねてござれ恋しくば 三輪の二本(ふたもと)とも過ぎん
○思ふ殿御が野へござるなら 涼し風吹け雨降るな
○山が焼けるぞ立たぬか雉よ これが立たりょか子を置いて
○人には言はりょと言ひさがりょと わしが身にさへ曇り無か
○人の口には戸が立てられぬ 流れ川滝堰きならぬ

日肝協代表者会議、

 明石市で、日肝協代表者会議が28日・29日にあったので、徳島肝炎の会の近藤事務局長と参加した。我家から車で昼食休憩を含め2時間半ほどで着いた。運転は近藤さんがしてくれたので助かった。彼は日肝協の幹事なので一緒に行ったので、28日はオブザーバーで2時からの幹事会にも参加した。午後6時から懇親会で、全国各地から60名余りが参加した。自己紹介や地元のアトラクションもあったりして、皆さん久しぶりにお互いの近況を話し合いながら楽しんだ。
 29日の午前中は代表者会議があり、厚労省や国会議員、兵庫県、日本肝臓学会などからの挨拶があった。今年12月から実施される重度肝硬変と肝がんへの医療費助成、患者会会員の減少が、現在の日肝協の最重要課題であることが、提案された議案書で明らかにされた。
 来年度の大きな課題も、総括に基づいたもので、重度肝硬変と肝がんへの医療費助成(厚労省はその対象者を7,200人と推計しているが、果たしてそれほどいるのか)の各県でのとりくみ、肝炎の新しい基本指針に基づく自治体の施策の推進である。日肝協ではこの課題について調査票を作成して、各患者会を通じて自治体に回答をお願いすることにしている。
 しかし、患者会がない県ももたくさんあり(現在26患者会、会員数4,000人弱)全国の実態をまとめるのは大変だと感じた。肝炎医療の進歩と肝炎患者の高齢化により、最盛期は1万人余りいた会員が減り、徳島も含めどの会も運営に四苦八苦している状況だ。
 午後からは分科会が行われた。第一分科会は「国と自治体の肝炎対策」、第2分科会は「患者会と日肝協の今後」、第3分科会は医療講演「自己免疫性肝疾患の治療について」(講師:田中篤先生 帝京大学医学部内科学講座教授)であった。
 私は第1分科会に参加したが、各県の肝炎対策の状況が報告された。徳島県は特に進んだ県とは言えないだろう。
 昼食休憩の時間に少し時間があったので、会場ホテルのすぐ近くにある県立明石公園(明石城)で行われている菊花展を見てきた。天気もよく良い散歩になった。
 会議の最終に「兵庫アピール」が採択された。全体で100名余りの参加であった。アピールでは、「現在、肝硬変と肝がんに関連する福祉・医療面の前進が求められまた進められています。B型肝炎ウイルス排除に向けて研究開発が進められています。検診についても未だ不十分と言われています。自己免疫性肝疾患も厳しい患者がおられ治療薬・治療法の前進が求められています。会員の減少が厳しい状況にある患者会を含め共に、上記テーマの前進に向けて活動を続けていきましょう。」と訴えられた。課題山積の代表者会議であった。来年は埼玉県で開かれる。





 会議が終わったのは4時半。休憩をしないで戻ったので、我が家に着いたのは6時半であった。
今年の目標
①中国語検定2級合格 不合格だったので、次回11月25日をめざす。
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「山家鳥虫歌」(近世諸国民謡集 岩波文庫
○来いと云うたとて行かれる道か 道は四十余里夜は一夜
○恋ぢゃ急きゃるな浮世は車 命長けりゃ廻りあふ
○幾千代久し松が枝の 君は栄える若緑
○月になりたや様が住む 閨の臥所(ふしど)を照らしたや
○思ふ殿御が野へござるなら 涼し風吹け雨降るな

ひどい物忘れ、国都神社祭礼、来年の干支の手ぬぐいカレンダー

 今日は朝7時半から、国都神社の祭礼があった。前日にも準備が午後からあって、神社の中を掃除したり、幕を張ったり、提灯を下げたり、神輿の飾りつけをした。10数年前までは毎年10月20日と決まっていたが、最近は土日に行われている。神輿を担ぐ子どもも少なくなり、今日の担ぎ手は、男子7名、女子6名であった。前夜雨が強かったのだが、上天気になって皆さん喜んでいた。神主さんが祝詞をあげてから出発。子どもたちは元気に神輿を引いていった。お母さん方も付き添いで大変だ。これを書いている時に、神輿を引いた一行が我が家にやってきた。



 朝早くから忙しかったのが理由というわけではないが、大事なことをすっかり忘れていた。1時半に川上さんから電話がかかってきた。「場所わかる」というのである。何のことやらさっぱりわからなかった。国民救援会県本部の大会だったのだ。そこで守大助さんを支援する徳島の会を代表してあいさつをすることになっていたのだ。大変申し訳無いがもう間に合わない。最近は、たびたびこういう事がある。認知症が進んでいるのだろうか。
 明日も神社の役目があるのだが、日本肝臓病患者団体協議会(略称:日肝協)の代表者会議が兵庫県明石市であるので、中途退席をすることになる。

 先日、藍住町ゆめタウンに行った時に手ぬぐいを買った。干支は「猪」で連れ合いの干支である。

今年の目標
①中国語検定2級合格 不合格だったので、次回11月25日をめざす。
魯迅全集全20巻読了 現在、第6巻50ページまで読了。さっぱり進まない。
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B型肝炎訴訟は全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!
「山家鳥虫歌」(近世諸国民謡集 岩波文庫
○東風(こち)吹きすさむ朝(あした)には 様の涙か雨の脚
○一夜馴れなれこの子が出来て 新茶茶壺でこちゃ知らぬ
○吉田通れば二階から招く しかも鹿の子の振袖が
○酒は飲まねど酒屋の門で 足がしどろで歩まれぬ
○西吹く風の夕暮れに 思ひ出(い)でたよ里ごころ

 

きのこハウス理事会、「画文集 とぼとぼ六十年」(講談社 畦地梅太郎 1985年4月)

 10月22日(月)は3時からきのこハウスの理事会があったので参加した。10月8日に開かれた第17回きのこまつりは、台風のため一日順延したが、まずまずの参加者で、成功したようだ。利用者、職員の状況は小さな事業所にとっては相変わらずで、大変な様子が伺われた。
 23日は眼科を受診した。順調に回復していて、大分見やすくなってきた。目薬を5種類何度もつけるのが煩雑であるが、仕方がない。
 24日は、連れ合いが東京で会議だったので、飛行場まで送っていった。その後は、中国語教室。ここでは「中国語会話301」の下巻を学んでいる。第32課まで来たが、皆さん和気あいあいと学んでいる。学ぶ時間より冗談が多いか。
 「画文集 とぼとぼ六十年」(講談社 畦地梅太郎 1985年4月)を読んだ。

 この本も、大阪にB型肝炎訴訟裁判を傍聴しに行った時に、阪急古書のまちの杉本梁江堂で購入した。この古書店は、どの本にもセロファンでカバーをして、丁寧に扱っているので気持ちが良い。畦地梅太郎の版画は最近ではモンベルがTシャツのデザインに使っている。
 彼の著書では山と渓谷社から出版されている「山の目玉」、畦地梅太郎版画集「山男」を読んだ。ネットで調べると、『畦地 梅太郎(あぜち うめたろう、1902年12月28日 - 1999年4月12日)は、愛媛県北宇和郡二名村(現・宇和島市三間町)出身の版画家。山岳風景を題材とした木版画作品を多数発表し、「山の版画家」として知られる。画文集の出版や装丁、挿画などの分野でも活躍した。』と紹介されていた。
 十数年前まで、保険調剤薬局法人に事務として勤めていた。年3〜4回ぐらい岡山市で法人の事務代表者の会議があり参加した。その時に立ち寄ったのが丸善岡山シンフォニービル店であった。そこの一角に畦地梅太郎の作品がたくさん販売されていて、楽しく見たものだった。

今年の目標
①中国語検定2級合格 不合格だったので、次回11月25日をめざす。
魯迅全集全20巻読了 現在、第6巻50ページまで読了。なかなか進まない。
台北陵クリニックえん罪事件の守大助さんをご支援ください!
B型肝炎訴訟は全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!
「山家鳥虫歌」(近世諸国民謡集 岩波文庫
○こちの旦那殿臭木(くさぎ)の育ち うはべ美し底苦し
○栄え久しき松が枝に 岩の岸根に波寄する
○憎い憎いは裏の裏 実の憎いは思ひのあまり
○たとへ火の中水の底 及ばぬ中に住むも君
○心短気な男を持てば 胸に早鐘つくごとく

健康班会(救急措置)、守大助の会、、中国語、「みんげいクッキー」

 16日(火)夜は、健康班会が近くの公民館であったので連れ合いと参加した。今回のテーマは「救急措置について」であった。健生病院から来た講師が、JRC蘇生ガイドラインに基づいて話と実技講習をしてくれた。ネットで調べてみると、『JRC蘇生ガイドラインは「日本の救急、蘇生に関するガイドライン」です。JRCとは日本蘇生協議会の事で、英訳のJapan Resuscitation Councilの頭文字をとってJRC(ジェーアールシー)と呼ばれています』とあった。
 救急措置の手順は、以下の通りと紹介があった。
①反応(意識)を確認する
②助けを呼ぶ、119番通報
③呼吸の確認、わからなければ胸骨圧迫
④胸骨圧迫
⑤AEDを使う
⑥気道確保と人工呼吸
⑦胸骨圧迫(と人工呼吸)とAEDの繰り返しと観察

 胸骨圧迫は大変疲れる。近くにいる人の応援も得て、絶え間なくつづけることの大切さを知った。10月7日(日)の道つくりの後にも、消防署から講師が来て救急の指導講習を受けていたので、より理解が深まった。
 18日(木)は午後から川上事務局長と、徳島市内の会員さんに守大助の会報を配り会費納入のお願いで回った。
 19日(金)は連れ合いが水戸の長女の家に暫く行くので、寒さ対策のために藍住のゆめタウンにあるモンベルに行って、フリースのジャケットを買ってきた。土曜日は休息。それでもいろいろ雑用があった。今日も休息。

 我家には郷土玩具やその関連本がたくさんあるが、郷土玩具をクッキーに作るのだから面白い。全都道府県の郷土玩具を作っている。実物そっくりのものができている。しかもこの本、各県のクッキーの作り方から型紙まで入っている。徳島県は藍揚お蔵、確か買ってあるはずだと探してみたが、見つからない。

 17日(水)、18日(木)には中国語教室に参加した。中国語検定2級合格は程遠いのが現状だ。

今年の目標
①中国語検定2級合格 不合格だったので、次回11月25日をめざす。
魯迅全集全20巻読了 現在、第6巻50ページまで読了。なかなか進まない。
台北陵クリニックえん罪事件の守大助さんをご支援ください!
B型肝炎訴訟は全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!
「山家鳥虫歌」(近世諸国民謡集 岩波文庫
○千世に八千世に御代治まりて 波も静かに四つの海
御油(ごい)や赤坂・吉田が無けりゃ 何の誼(よしみ)に江戸通い
○尽きせぬしるし岩に花 峰の小松の繁り合ふ
○こなた思へば照る日も曇る 冴えた月夜が闇となる
○こちの旦那殿傘(からかさ)育ち 世間ひろがり内すばり