〆張鶴 大吟醸

 2月6日(土)に、妻の友人が大阪から徳島に移住してきたので、我が家で歓迎の会をした。詳細は「マサ子通信」をご覧下さい。持参してきたのが、表題の「〆張鶴 大吟醸 」であった。まことに美味しいお酒で感激した。
 酒ビンのラベルには白楽天白居易)の詩の一部が書かれていた。白楽天は、中国の中唐の大詩人で政治面でも活躍している。唐の代宗皇帝の大暦7年(772年)1月に生まれ、「李杜」と相称される李白杜甫のすぐ後の生まれである。彼の詩で一番有名なのは「長恨歌」であろう。玄宗皇帝と楊貴妃を題材にしたものである。白楽天は今で言う法務大臣までになって75歳で亡くなった。
 白楽天の詩は何冊かあるので、早速調べてみた。見つかったのは、恩師の松浦友久著の「中国名詩集 美の歳月」(朝日文庫)であった。

中国名詩集―美の歳月 (朝日文庫)

中国名詩集―美の歳月 (朝日文庫)

 この詩は「効陶潜體詩」(陶潜の 対にならう詩)の一部である。」詩全体は16首あって、第7首目である。第7首目も全体は大きく3段階に分かれている。折角だから全体を掲載する。

 朝亦獨醉歌
 暮亦獨醉睡
 未盡一壺酒
 巳成三獨醉
 勿嫌飲太少
 且喜歡易致

 朝(あした)にも亦(また) 独り酔いて歌い
 暮(ひぐれ)にも亦(また) 独り酔いて睡(ねむ)る
 未だ一壺(いっこ)の酒を尽くさざるに
 已に三たびの独酔を成す
 嫌(いと)う勿(なか)らん 飲むことの太(はなは)だ少なきことを
 且(しばら)く喜ぶ 歓(よろこび)の致し易(やす)きを

 朝もひとりで酔って歌い
 夕暮れにもひとりで酔って眠る
 いまだ、一ボトルの酒も飲みつくさないのに
 たった一本で三度も酔える
 飲む量の少なさなどは気にしない
 飲むとすぐに良い気分になれるのが、まずは嬉しい

 一盃復两盃
 多不過三四
 便得心中適
 盡忘身外事
 更復強一盃
 陶然遺萬累

 一盃 復(ま)た両盃
 多くとも 三四を過ぎず
 便(すなわ)ち 心中の適(てき)を得て
 尽(ことごと)く 身外の事を忘る 
 更に復(ま)た 一盃を強(し)うれば
 陶然(とうぜん)として 万累(ばんるい)を遣(わす)る

 一杯、また二杯と盃を重ね
 多くとも三、四杯を越えることはない
 たちまち、心の中が愉快になってきて
 世間の利害などは、すべて忘れてしまう
 さらにまた、強いてもう一杯を重ねれば
 陶陶然として酔いがまわり あらゆること心配ごとが気にならなくなる

 一飲一石者
 徒以多為貴
 及其酩酊時
 與我亦無異
 笑謝多飮者
 酒銭徒自費

 一飮(いちいん)に一石(いっせき)なる者は
 徒(いたず)らに 多きを以って貴(とうと)しと為す
 其の酩酊の時に及んでは
 我と亦(ま)た異なる無し
 笑いて謝す 多く飲む者の
 酒銭(しゅせん) 徒(いたず)らに自(みずか)ら費(ついや)すを

 一度に一石も飲みほす者は
 ただ量の多さを自慢しているだけ
 酩酊して良い気分になってしまえば
 私と何も異(ちがっ)た点はない
 笑ってご辞退申しあげる 大酒のみは
 ただ酒手(さかて)がむやみにかかるだけです

 陶潜(陶淵明)は「李白杜甫以前の中国の代表的詩人であり、また有名な隠遁者であったことのほかに、だれもがすぐ反射的に思い出すのは酒である。」(中国詩人選集4 陶淵明 岩波書店
 魯迅も「魏晋の気風と文章の、薬および酒との関係」という講演で酒と陶淵明との関係について話をしている。
 
 おいしいお酒を持参してくれた、ご夫婦に感謝して白楽天の詩を紹介した。