守大助さんにハガキと「三毛流浪記」

 仙台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件の守大助さんにハガキを出した。毎月1度はハガキを出すことにしている。各地・各人から守さんのもとに便りが届くことは、彼への励ましになるからで、徳島の会では役員が毎週交代で便りを書いている。以下が、今回の内容である。

 守さん、お元気ですか。今年は寒さも厳しいようで、霜焼けはいかがでしょうか。年賀状も全国からたくさん来たようですね。
 徳島では、昨年末21日の役員会で、1月からの取り組みを協議しました。会員の獲得目標である500名に20名ほど足りず、どうしようかということになりました。7日・9日と川上さんと会報の配布と会員拡大に行ってきました。7日は知人・団体周りをして2名、昨日は7名(電話での依頼も含め。薬剤師も3名加入。)増えて家に帰ってくると、川上さんから電話があり、7日に訪問したところから2名の加入申し込みが来ていたとのことでした。
ご両親が徳島に来られる総会までに何とかやり遂げようと、川上さんにハッパをかけられています。16日、23日にも行動を予定しています。
 再審開始決定を実現するためにも、事件のことを理解してくれる方を増やすことが大事だと、取り組んでいます。
2015年1月10日


 年末年始にかけて、陽光学院のLi先生が、北京に帰省した。母親が住んでいる。帰るにあたって、おみやげは何が良いかと聞かれた。私が「何で」もと答えたら、それでは本にしようといった。Sさんは張 芸謀 (チャン・イーモウ 監督の経歴については、ウィキペディア参照)監督の色紙かなんかをと答えた。これには訳がある。張 芸謀の母親とLi先生の母親(元北京大学教授)は西安生まれで古い知り合いで親しいのだ。張 芸謀はこの時は何かの表彰式があるとかで、マカオに行っていて会えなかったそうだ。帰ってきた先生からSさんが頂いたものは、張 芸謀監督の風呂敷大の絹の織物であった。いろんな明るい絵が書かれ、四囲には監督の映画の作品名が書かれている。織物を入れた紙袋も独自に作られたものであった。Sさんは大喜びであった。

 私が頂いたのは、「三毛流浪記」という漫画であった。ウィキペディアには以下のように書かれている。
 「三毛流浪記(サモるろうき、簡体字:三毛流浪记、拼音: Sān máo liúlàng jì)は、中国の漫画家の張楽平により1935年に執筆開始された中国の漫画である。主人公のサモ(三毛、拼音: sān máo)は全世界的に最も長年の間活躍し続けた漫画キャラクターの一人であると共に、現在もなお中国で最も有名かつ人気のある架空のキャラクターの一人である。
 主人公のサモはその名のごとく三本の毛を頭から生やしたキャラクターであり、連載が続くにつれてサモのキャラクターは変化していったが、彼のトレードマークである貧困とその結果による栄養不良を表す三本の毛は常に描かれ続けた。」

 三毛という台湾の女性作家が「三毛之父与我」と題して、彼女と著者の張楽平との関わりを本の中に書いている。彼女の本名は陳平(チェン・ピン、陳平、1943年 - 1991年)だが、この漫画に触発されて筆名を「三毛」にしている。

 同じくウィキペディアには漫画家の張楽平について以下のように紹介している。
 張楽平(チャン・ルーピン、簡体字: 张乐平、繁体字: 張樂平、拼音: Zhāng Lèpíng、1910年11月10日 - 1992年9月27日)は中国浙江省嘉興市出身の漫画家である。張は中国の近代漫画の発展において主導的役割を演じた人物であり、代表作『三毛流浪記』シリーズによって広く知られている。

 元々この漫画は黒一色の絵だけであったようだが、私が頂いたのでは彩色され理解しやすいように文章も下に書き加えられている。まだ、張楽平の「序」と三毛の文章、と「跋」と中を少し見ただけだ。1930年代の上海で生き抜いてきた浮浪児の三毛の物語であるが、当時の上海社会がよく理解される。できればじっくり見て読んで、文章もきちんと訳してみたい。



我が家の郷土玩具  滋賀・小幡土人形  塔


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○かりた片腕いのちの枕 そつとはずしてうらむ朝
○すました顔して 手のない二人 レインコートの奥余情
○据え膳すまして片腕かりて うつつできいてる東天紅


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