「恒産なければ恒心なし」と「優しいサヨクの復活」(島田雅彦)
連れ合いが昨日から東京(会議)、水戸(長女宅)に行っているので、いろいろと用事をしなければならないので大変だ。来週月曜日に帰徳する。
23日は内科外来受診、その後にきのこハウスの理事会があって参加した。きのこハウスの経営も大変である。主力のしいたけの生産が激減している。菌床の入手が減ったためである。もう一つは職員の離職。介護・医療の分野はもちろん、障害者福祉の現場も人がなかなか定着しない。仕事が大変なばかりか処遇が低い。これは経営するものの考えが低賃金と悪い労働環境を押し付けているのとは違うだろう。国の制度としてこういう分野にお金をかけないということになっている。最近のマスコミ報道でも、介護・医療・障害者分野での弱者・高齢者の死をも招くような仕打ちが厳しく批判され、報道されている。果たして、個人の責だけに帰して良いものだろうか。そうではないだろう。
「恒産なければ恒心なし」ということわざがあるが、これは「孟子」に書かれている。孟子(紀元前372年? 〜紀元前289年)は戦国時代中国の儒学者。
無恒産而有恒心者、惟士為能。若民則無恒産、因無恒心。
恒産無くして恒心有る者は、惟(た)だ士のみ能(よ)くするを為(な)す。 民のごときは則ち恒産無ければ、因(よ)りて恒心無し。
大漢和辞典を編纂した諸橋轍次の著書に「中国古典名言集」(講談社学術文庫 全8巻)がある。そこで諸橋は、「恒産なければ、因って恒心なし」について、以下のように解説している。
「一般の人民は、恒産、すなわち、どんなばあいにも、ちゃんと生活していけるだけの収入や財産が備わっていないと、恒心、すなわち不変の思想、不動の道義心は保ちにくい。政治家はまず、人民に恒産を持たせることが必要である。」
今も2,300年も前の昔も変わらない、政治の情況が続いている。富めるもの大企業ばかりが肥え太る政治は、いびつである。
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著者は「はじめに」のなかで、「国家の暴走に歯止めをかける憲法がないがしろにされ、本来、監視役であるべきマスメディアが及び腰になる中、国家に疑義を呈する存在なくして、健全な社会は作れない。市民が社会を変え、外交関係を変え、自らの安全を守り、資本主義の新しいあり方や幸福の新たな条件を模索してゆく時代がやっとめぐってきたのだ。」と書いてある。
永年、頼りのないふらふらしたサヨクの一人として考えると、高校生を含めて若者、お母さん方を含めた女性たちが、安倍政治に「マッタ」の声を挙げてきているのは頼もしい。ここいらで「恒心」のないものたちも、自らの力で「恒心」を持ち普通に生活できるように「恒産」を得るようにしなければと考える。
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